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ぼくらはあの頃、アツかった(3) 人生いろいろ……島倉千代子の歌の意味が今ならわかる、気がする

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jinnseiiroiro.jpgからたちの小径(日本コロムビア)

 島倉千代子の名曲に『人生いろいろ』というのがある。

 死んでしまおうなんて、という歌い出しが印象的な艷歌であるが、そのサビの部分を聞く度、筆者は人間(じんかん)の生における、ひとつの真理を感じるのである。曰く、人間いろいろ。男もいろいろ。女だっていろいろ咲き乱れるの──だが、千代子はきっと「価値観なんて人それぞれ。違って当たり前なのよ」という事を我々千代ラーに伝えたかったのだろう。

 人間いろいろ。男も女も──そしてスロッターさえも、いろいろなのだ。

なんだこの台は。

 さて、4号機末期。サイレントストック機と呼ばれる連チャンシステムを備えた台が隆盛を極めていた時代の話である。『大繁盛本舗』という台があった。発売元はオーイズミ。液晶演出の意味不明さで一世を風靡した(?)名機である。

 これは文字に起こすのが非常に難しいが、ざっくり説明すると「毎ゲーム常に何らかの連続演出が繰り広げられ、しかもその成否が内部状態とあんまり関係ない」という、すこぶる斬新な台だったのである。「あんまり関係ない」というのが味噌で、実際はちょっと関係あったりするのだが、殆どのスロッターはそれを理解する前に「なんか不気味な台を触ってしまった」という顔で去っていく。そんな台だった。

 当時は件の台を指して「これなら液晶外してGOGOランプ付けた方がマシ」とか「演出成功する度にお爺ちゃん呼ばれて目押しを頼まれる店員さんが可哀想そう」とかいう声が多発していたように思う。実際、筆者も隣のお爺ちゃんに何度も目押しを頼まれた。そして「いやこれ当ってないんすよ」という説明を何度もした。そしてその都度「本当は当たっているのに、この若者は俺を騙しているんじゃないだろうか」みたいな疑心暗鬼丸出しの顔で小首を傾げられ、なんか申し訳ない気分になったりした。

 そして筆者は何度もそういう状況に出くわす程度には、この台を愛していたのである。

──D君という友達とファミレスで夕食を食べながらパチスロ談義に花を咲かせている時、この『大繁盛本舗』を巡ってちょっとした諍いが勃発した。

 D君は沖スロを専門に立ちまわって月間収支1000k円を大台を叩きだしたのを機に会社を辞め、専業プロとして活躍してた人だった。筆者よりも一つだけ上と年齢も近く、パチスロを打ち始めた時代もほぼ一緒。頻繁に連れ打ちしていたし、二人してバンドまで組んでたりしてたので、週に3日は顔を合わせていた。今思えば親友といっても良かったと思う。

 そんなD君の、最近良く打ってる台はなに? という問いに、筆者は『大繁盛本舗』と即答した。その答えに、D君は侮蔑を隠そうともしない表情で首を振った。
曰く、食えないクソ台だと、D君は言ったのである。

 今でこそ、筆者の心は琵琶湖より広い。しかも話題は与太話の類に近かったし、こんな事でいちいち目くじらを立てることはないのだが、当時はまだ今より若かったし、飲み慣れぬ酒も入っていた。要するに、筆者はカチンと来たのである。

 今思うと、この時D君の言葉にカチンと来た原因は他にもあった。

 例えば筆者は「食える」とか「食えない」という視点でパチスロを語るのに、ちょっとした嫌悪感を持っているお年ごろだった。つい先日まで『キングパルサー』のハイエナメインでガチガチの立ち回りをしていた手前を差し置いてである。パチスロは崇高な遊戯であって、システムと機械割のみで語るのは冒涜である、みたいな変な気概を持ってしまっていた。繰り返すが当時、筆者は若かったのである。若さゆえの、形の無い、モヤモヤとした潔癖。モラトリアム丸出しである。

 そしてもう一つ。D君が先日、パチスロで高設定を掴んで離席出来ないからという理由でバンド練習に二時間も遅れてきたのも肚に溜まっていた。この辺のルーズさなんぞ本来ならば愛すべき駄目具合なのだが、筆者はそういう意味でも大変独善的な時期だったのである。

 筆者はちょっとシニカルな口調でD君の言葉を否定し、その否定をD君が真面目に受け取って持論で返す。ちがう。そうじゃない。ちがう。そうじゃない。繰り返す。繰り返す。

kenka.jpg昨日の友は今日の敵だったりする

『大繁盛本舗』にまつわる言葉の応酬はいつしかお互いの人間性や価値観を否定しあうドロドロの激論に変わり、取っ組み合いの喧嘩寸前までエスカレートした。

 D君とは学生時代から、もう五年程の付き合いになっていた。
困ったことがあればD君に相談し、面白い事があればD君に報告し──。
なにかあったらD君、なにもなくともD君。

 二人はほんとうに兄弟のようだったと思う。

 そのD君との初めての喧嘩がこの夜の『大繁盛本舗』に端を発する口論であって、またそれは、互いに情が深い分、裏返った時の憎しみもまた深くなるという、釈迦の教えを完璧に体現するものだった。

バンド解散。

 数日後だが、我々が組んでいたバンドが解散する事になった。

 厳密に言うとD君がバンドを抜けるという話だったのだが、スリーピースバンドでボーカル兼ギターが抜けるというのはつまり解散宣言であった。

 筆者は残されたA君に「何があったか聞かせて下さい」と言われていつものファミレスで酒を飲みながら、事の顛末を語った。今でも覚えている。なんと説明すれば良いものやらさっぱり分からなかった。A君はパチスロを打たない。そんなA君に「いやーあの野郎が大繁盛本舗を馬鹿にするからさぁ」とか言っても全く響かないのは分かってたので、ざっくり「愛する物を否定された怒りの奔流が本能の赴くままの言葉となりうんぬん」とかカッコいい事を言ってかわした気がする。A君は馬鹿だったので「そりゃあ仕方ないですね」とか言ってた。

ashino.jpg

 コーンスープを飲みながらビールを煽り、窓の外を見た。まだ早い時間である。

 国道を行き交う車のフロントガラスに午前の陽が反射して、キラキラ輝いていた。

 全能感。開放感。路無き路を進む。前途洋々。当時筆者は若かった。D君も、A君もだ。青春の真っ只中にあって、人生を愉しんでいた。

 まあ今はちょっとギクシャクしてるけど、そのうちまた一緒に遊ぶ事になるだろうな、とあまり気にもしていなかったが、バンド解散を機に本当にD君とは疎遠になり、ホールでたまに見かけて挨拶する程度の関係になった。まさか『大繁盛本舗』で兄弟のような親友を失くすことになるとは、当時の筆者は全然思ってもみなかった。

 きっと、D君もそう思っていたに違いない。と信じたい。

 人生いろいろ。男も、女も、スロッターも色々である。

 価値観なんてひとそれぞれ。違って当たり前だ。それを認める度量が、今は備わっていれば良いのだけれど。

 ──もちろん、筆者自身に、である。
(文=あしの)

【あしの】都内在住、36歳。あるときはパチスロライター。ある時は会社員。この春から外資系の営業マン。ブログ「5スロで稼げるか?」(http://5suro.com/blog/)の中の人。

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