パチスロ「ある意味、鉄火場」の時代……強烈な“猛者”が住む「異空間」の住人に!?【アニかつ・濱マモルの回胴酔虎伝Vol.12】
前回、「アニかつ」と「濱マモル」のお二人にパチスロとの馴れ初めを披露していただいたのだが、キャリア30年の彼らは口を揃えて「昔のパチスロコーナーは今とは別世界だった」と語った。今回はその辺りを突っ込んで伺ってみたい。
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──近年、パチスロはすっかり若者の遊び文化のひとつとして定着していますが。
アニマルかつみ(以下、アニ):そうなったのは、ここ20年くらいのことなんじゃないかな。
濱マモル(以下、濱):そうですね。おニイサンとかアタクシなんかが打ち始めた30年前は、ほんとまだまだパチスロはパチンコ屋の中でもある意味、異彩を放っていましたから。
アニ:設置台数の規制なんかもあったからね。だいたい、店の隅っこに1ボックスとか2ボックス、ラインナップもせいぜいあって2機種とか。
濱:そもそも、別棟になってるところも少なくなかったですよね。
アニ:そうそう。パチンコだけの店の脇に、ちょこっと小さな小屋みたいなのがあって。
濱:それがより一層、「異空間」なムードを醸し出していました。
アニ:それには理由があってね。もちろん、あとになってライター業にたずさわるようになってから知ったことなんだけど、元々は法律上、パチンコとパチスロは別扱いだったんだよ。
濱:と、言いますと?
アニ:1985年に風営法が大改正された時に初めて法律の中で『回胴式遊技機』としてパチスロが認められたんだけど、それ以前はざっくりと『遊技メダルを使用する遊技機』に分類されていて……。
濱:遊技メダルを使用する遊技機、ですか?
アニ:いまの若い人たちは知らないと思うけど、アレンジボールとか雀球とかスマートボールね。それらと同じ扱いだったの。で、そういったメダル式遊技機専門店ってのがあって、最初はそこにパチスロが設置されたんだ。
濱:なるほど。その名残で、パチスロコーナーは別棟だったわけですね。
アニ:そうそう。自分も高校生の頃、友達に誘われてアレンジボールは打ったことあるんだけど、その奧の方にあるパチスロは触ることもなかったな。
──やはりそこは、前回仰ったような「別世界」だったからでしょうか。