パチンコ「いまはなきS会館で出会ったアレンジボールの名機」【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.013】
【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.013】
さかのぼること13年半前、2009年7月5日の夜のことだった。
北関東のホールでのイベント仕事を終え、レジャー帰りのクルマで大渋滞の関越道をノロノロと3時間かけて帰宅すると、テレビのニュース番組が信じがたい惨劇を報じていた。
「大阪市此花区四貫島一丁目、阪神なんば線千鳥橋駅南側にあるパチンコ店が何者かによって放火され、焼け跡から客の男女2人と従業員の女性1人の……」
惨劇の舞台となった大阪此花のパチンコ店とは、他でもない。在阪時代末期の1年と余月の間、足繁く通い濃密な時間を過ごしたS会館である。
犠牲になったのが、顔見知りの誰かだったりはしないだろうか。そんなことを考えているうち、涙がこぼれてきた──。
○ ○ ○
S会館へは当初、パチスロの『バニーガール』をお目当てに通い始めた。
レート8枚の1回交換という、いまでは考えられない営業形態だったが、当時の大阪ではわりと一般的だったので、特に疑問を持つこともなかった。
たぶん、オール4・5・6での営業だったんだろう。大勝ちすることもなかったが、逆に大負けすることもなく、いつも楽しく遊ばせてもらった。
一方、パチンコはハネモノ・デジパチともにあまり得意な機種もなく、ほとんど打つことはなかったのだが、ひょんなことから敬遠してきたあるジャンルのシマに足を踏み入れ、気づけばそこの住人になっていた。
きっかけは、同じマンションに住むバンドのギタリスト、ノリオのひと言だった
「喰わず嫌いしてたら、アカンって。S会館で打つなら、やっぱ『シャトル』がいちばん、カタいんやって」
たまたま近隣の店で負けが続き、落ち込んでいた自分にノリオは、S会館にあったアレンジボール機『シャトル21』をそう言って勧めた。
『シャトル21』とは、規制で撤去された一発台の名機『スーパーコンビ』の後釜として、当時の大阪で絶大な人気を誇っていた藤商事のアレンジボール機。
『スーパーコンビ』を彷彿とさせる三つ穴クルーンの後ろの穴に玉が入賞すると、盤面右側に配されたデジタルが始動。「7-7」「3-3」が表示されると大当りの権利獲得となり、あとは店の定めた打ち止め個数に到達するまで右打ちで玉を増やし続けるだけ…というのが、基本的なゲームの流れである。
アレンジボール機とはいえ、その運用形態は一般的な一発台となんら変わらず、S会館をはじめ多くの店では、1回大当りすると4千発の出玉獲得が約束された。
ノリオをはじめ、バンドのパチンコ好きメンバーたちが、この『シャトル21』にハマっていたのは知っていたが、こういったキワモノなジャンルにはどうも抵抗があって、食指を動かされることがなかった。
そこに漂う空気も、他のシマとはまるで違っていた
抵抗があったのは、機種そのものに対してだけではない。『シャトル21』が設置されていたシマの雰囲気。そこに住まう人たちの顔ぶれも、そこに漂う空気も、他のシマとはまるで違っていて、足を踏み入れるにはちょっとした心構えが必要だったのである。
が、ノリオの一言に背中を押され、最初は様子見程度だったが、ちょいちょい『シャトル21』を触るようになった。ノリオ曰く「この店で打つなら、『シャトル21』がいちばんカタい」ということの意味を理解するまでは、さほどの時間は要さなかった。
S会館の『シャトル21』は、対面にあったマルホンの一発台『プリズム』ともども、「お1人様1台につき4回まで」というルールが設けられていた。「同じ台で4回大当りしたら、他のお客様に台をゆずって他の台に移動してください」というわけだ。
一見、面倒臭そうなルールだったが、実はこれこそが「この店で、いちばんカタい」と言わしめる大きな要因となっていた。回数制限が設けられている分、バカみたいにクギが甘く、クルーンによく玉が飛び込み、なおかつデジタルがよく回る「いい台」が、毎日のように何台もあったのである。
まぁ、そんな「いい台」を掴んでも、4回当てると台を移動しないといけないわけだが、シマの住人になり、そして仲間として認められれば、なんてことはなかった。
そんなわけで次回は、S会館の『シャトル21』のシマに住まうクセの強い人たちの顔ぶれ、そしてそこでの立ち回りなどについて、綴ってみたいと思う。