「手打ち式」はパチンコの原点… 当時は若者たちに大人気のジャンルだった?【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第22話:手打ち式の思い出】

第22話 手打ち式の思い出

 今回は「手打ち式パチンコ」の思い出話です。今の若いプレイヤーに手打ち式の話をすると、大抵は「なんですかそれ?」っていうリアクションをされるんですが、パチンコの歴史を紐解くと「電動式ハンドル」が発明される以前のパチンコは全て手打ち式でした。私が敬愛する故・田山幸憲さんの著書「パチプロ日記」にも、若い頃の田山青年が手打ち台と悪戦苦闘する描写が綴られており、手打ち式はパチンコの原点と言うべきものなのです。

 現在の電動式ハンドルが認可されたのは1972年ですけど、当然のことながら一気に手打ち式から電動式に入れ替わったわけではありません。最近の例を挙げると、旧CR機が約4年かけて新基準のP機に移行したように(P機の認可は2018年の2月でCR機の完全撤去は2022年の1月)、手打ち式も長い時間をかけて少しずつ電動式に移行していきました。おそらくですけど、私はリアルタイムで手打ち式を打った経験のある最後の世代じゃないかと思います。

 私が広島市に住んでいた18歳の頃、紙屋町(広島の繁華街)のホールにはまだ手打ち式が何シマか残されていました。もちろん、すでに世の中のパチンコの大半が電動式に移行した後なので、手打ち式は圧倒的な少数派に過ぎなかったんですが、意外なことにこれが若い大学生のお客さんに大人気で、私はろくすっぽ打つことができませんでした。だって、良釘の優秀台は朝イチに全て常連さんに押さえられちゃうんだもの。そして、手打ち式が若い学生さんに支持された理由はおそらく、時間潰しができたからだと思います。なぜなら電動式は1分間に玉が100発打ち出されるため勝負が早い。時間に追われるサラリーマンならその方が良いのでしょうが、時間潰しを目的とした学生さんの場合、自分のペースで早くも遅くも打てる手打ち式のニーズの方が高かったんじゃないかなと。

カウンターのお嬢さんに「今日は特殊景品を扱えない日だ」と言われて…

 それが1982年(昭和57年)のこと。その翌年の1983年に私は上京したんですが、東京にもまだ手打ち式が残っていて驚きました。場所は若者の街・渋谷です。その店はハチ公口から徒歩数分の神宮通り沿いにあって(位置的には西武デパートの向かい付近と記憶)、立地条件は最高なのに、「昔ながらのさびれたパチンコ屋さん」という雰囲気を醸しており、なんとなく店内を覗いてみる気になりました。すると、景品カウンターの横に立ちシマ(立ったまま遊技するシマで椅子は用意されていない)があり、そこに設置されていた台が手打ち式だったんです。

 たぶん西陣の機種だったと思うんですが、詳細は不明。横の壁には「バクダン禁止」と書かれた張り紙がありました。

 ここで言う「バクダン」とは、ハンドルの発射レールに複数の玉を貯留して、一気に打ち出す禁断のワザです。チューリップが開いている時などに実践すると、同時入賞を狙えたりするんですよ。つまり、客からすればお得なテクニックなんですが、玉を打ち出す際に普通に弾くんじゃなく、左手の人差し指で無理やり弾き出すため(そうしないと玉が飛ばない)、ハンドルのバネがすぐバカになっちゃう。だから店側が禁止してるんです。

 でもって、私は200円で小箱(400個入り)に八部目くらい出て、それで満足して出玉を流したんです。ところが、カウンターの責任者っぽい昔のお嬢さんに「今日は特殊景品を扱えない日だ」と言われましてね。どうやらこの店では、出玉を換金できる日とできない日があるみたい。なるほど、だからこんな一等地にあるパチンコ店なのに、どうしようもないほど客の入りが悪かったのね。

 ともあれ、換金できないのなら仕方がない。当時の私は大学生で自炊していたため、缶詰でも取って帰ろうと思ったんです。以下は私とカウンター嬢のやりとり。

「適当に缶詰をください」

「適当にじゃわからない」

「(棚の缶詰を指差して)そこらへんの缶詰をください」

「そこらへんのじゃわからない」

 いや、脚色なしで本当にこう言われたんですよ。しかも限りなく無愛想に。このクソババァが~…って思ったけど、こんなことで腹を立てるのも大人気ないし(弱冠19才のガキですが)、つとめて冷静を装いながら「90個のシーチキン缶を3つと、残りの端玉でチョコレートをください」と答えてその場をやり過ごしました。結局、このカウンター嬢の応対がちょっとアレだったんで、以後はこの店に入ることもなかったんですが、気がつけばいつしかホール自体がなくなってました。

 てゆーかね、どうしてこんな無愛想なおばさんにカウンターを任せたのか、私は不思議でなりません。やたらめったら丁寧にする必要はないけど、閉店した責任の一端はこのおばさんにもあるんじゃないかと…思いました。それで、昔のパチンコ店を検索できるサイトで調べたんですが、該当するホールはヒットせず。どなたかこのパチンコ店のことをご存知の方がいましたら、教えてくださると嬉しいです。何がどうってことはないけど、とりあえず私がスッキリしますので(笑)。

A-gonから登場した手打ち式パチンコ『CRA昭和物語』。バクダンを封じるためなのか、開放中のチューリップにオーバー入賞しても再度開かないよう仕様変更されている。意欲的な作品だったが、残念ながらヒットには至らなかった。(写真はA-gonのHPより)

 ちなみに、手打ち式は2015年に(株)A-gonさんより『CRA昭和物語』という機種名で一時的に復活しました。もちろん私も打ったんですが、昔の手打ち式とは似ても似つかぬ操作性にガッカリして(昔の手打ち式はムチャクチャに操作性が悪かったのです)、打ち込むことはありませんでした。勝ちたいんじゃなくノスタルジーで打ったんだから、どうせ再現するなら昔のままの方が良かった…と私は思うんですけどね。

 皆さんはどう思われますか?

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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