パチンコ「パチスロのモーニングだけではなかったパチ屋の朝のサービス」【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.020】
アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.020
前話の最後の方で触れたとおり、平成2年の夏頃から大阪を離れ東京へ拠点を移す平成3年初頭にかけての数ヶ月間、キタのお初天神通り商店街にあったG店や向かいのS店、そのほか界隈のホール数軒に足繁く通った。
ミナミではなくキタに落ち着いた理由は、きわめて単純。街に漂う空気感、とでも言おうか。生まれ育った尼崎からも近く、十代の頃から遊びに行ったりして慣れ親しんでいたキタの方が、ミナミよりも断然、肌に合っていたからだ。
余談はさておき、彼の地のホールでの立ち回りだが、例の『フィーバーレクサスⅥD』の状況が芳しくなくなったあとも、朝イチを狙うことが鉄則であった。ただし、パチスロのモーニングサービスが目当てだったわけではない。
前にも書いたと思うが、当時のデジパチは特定の数字あるいは図柄で揃ったら持ち玉遊技できるラッキーナンバー制が基本で、関西の場合は「333・777から次の333・777までノーパンク」、東京など首都圏では「奇数で当たれば次に偶数で当るまで」というルールが主流だった。
つまり関西方式は、偶数で当り続けるなどすればワンチャンスで大量のドル箱を積み上げることが可能だったわけだが、ラッキーナンバー比率が(機種にもよるが)関東方式のおおむね2分の1に対し5分の1程度と低く、ハードルはかなり高かった。
ところが、朝イチとなれば話が変わってくる。繁華街の多くの店では、「開店から○時までノーパンク持ち玉遊技OK!!」というサービスを実施していたからである。
サービスの具体的な内容・条件は店ごとに異なっていて、「終了時刻を迎えた時点で持ち玉すべて交換」だったり、「終了時間後はラッキーナンバー以外は持ち玉すべて交換」だったりと様々だった。有利なのは、言うまでもなく後者。G店やS店がこのルールを採用していて、「正午までの2時間はノーパンク、以降はアンラッキーで当るまで持ち玉遊技可能」となっていた。
午前中の早い時間に大当りを重ねてある程度の持ち玉を確保できさえすれば、とりあえずは安泰。最終的な出玉は、先述のとおり午後になって最初にどの数字や図柄で当るか次第だったが、とにかくこのサービスタイムの恩恵はデカかった。
なんせ、日中は1回交換が基本なので、総じて回りは上々。保留玉連チャンのないノーマルデジパチなら、だいたい千円平均で25回、時には30回近く回るお宝台に巡り会うことも珍しくはなかった。それを、午前中プラスアルファの短時間とはいえ持ち玉で打つことができるわけだから、狙わない理由はないだろう。
そんなわけで、G店やS店の朝のサービスタイムでよく打ったデジパチを2作、紹介させていただく。
■マジック7D
斬新な円盤状のデジタル表示部が大きな特徴で、大当り時には図柄が赤いY字型に揃うところがユニークだった。
システムとしての連チャン性は組み込まれていないノーマルデジパチだったが、それゆえに大当り確率は211分の1と非常に高かった。その分、賞球は6&12と当時の一般的なデジパチと比べるとそれぞれ1個ずつ少なかったが、それでもS店では2500発程度の出玉があった。
先述のとおり、朝のサービスタイムでは、とにかく早く当てて持ち玉を確保することが先決だったため、通い始めた当初は大当り確率が抜きん出て高かった本作ばかりを好んで打っていた。
■マーブルX
先の『ニュービッグセブンパート4』と同時期にリリースされ、同様に大ヒットした『ドリームX』ならびに『~W』の後継となる、モナコ(奥村遊機)のドット式デジパチ。
大当り終了後の保留玉消化時をのぞき、「『0』でリーチがかかったら大当りがほぼ確定する」という珍しい特徴があり、大いに話題となった。
大当り確率は225分の1と標準的な値。こちらも『マジック7D』と同じく賞球は6&12と少なめだったが、15%程度の保留玉連チャンが仕込まれていて、『フィーバーレクサス』シリーズなどと同様に朝イチ単発回しで誘発させることも可能だった。
ただし、空いているメモリを点灯させるタイミングがシビアだったのと、件のサービスタイムにおいては「とにかくブン回して少しでも早く当てる」ことが何より先決だったので、持ち玉と時間と気持ちに余裕がある日中にちょいと試してみる程度だった。
〇〇〇
以上の2作のほかにも、図柄表示にカラフルな蛍光板を用いたニューギンの『エキサイトワープ』や、『レクサス』シリーズの後継としてリリースされた三共の連チャン機『フィーバースピリッツⅠ』、そしてサービスタイム終了後に打ったハネモノや一発台など、在阪時代末期の思い出が詰まった名機は枚挙に暇がない。また機会があれば、ゆっくり振り返ってみたいと思う。