【パチンコ店】営業終了後に「攻略法の練習」をさせてくれた思い出深いホールが閉業
3年間での減少スピードは超ハイペース
一向に収まる気配のないパチンコ店の閉店ラッシュ。西暦2000年からだけで見ても約17000店舗から2010年には約12500店舗にまで減少しています。
10年後の2020年には既に10000店を割っており、更にこの3年間での減少スピードは超ハイペースで、実に2000店舗以上が閉業したというのですから尋常じゃありません。
私の地元では大規模な再開発があり、ほとんどのホールが跡形もなく消え去ってからかなりの年月が経ちます。それでも凄く思い入れがあるかといえば意外とそうでもなく、楽しく遊んだなというくらいです。
でも、このたび色々とお世話になった2つのホールが相次いで閉業することになり物凄くショックを受けております。ひとつは私が初めてアルバイトをしたホール。もうひとつは業界入りした際に大変お世話になったホールです。
営業終了後に「攻略法の練習」をさせてくれたことも
まだ学生だったのですが、そのホールは慢性的に人手不足だったため短期間でも大歓迎されたんです。業務は現在の恵まれた環境のパチンコ店とは違いコテコテの重労働で、めちゃくちゃキツかったのですが。
期間中は寮に泊まり込みでほぼ『通し業務』でしたが楽しかった記憶しかありません。営業終了後は掃除の後に、攻略誌などに掲載されていた攻略法を試してみたりしてお遊び兼お勉強タイムです。そして全て終わったら社長が、ご飯に連れて行ってくれるんです。
夜中まで遊んで騒いで朝から働く訳ですが、若いだけに体力だけは有り余っていましたからね。それでいて日当1万円だったので当時としては破格のバイトだったと思います。短期間で10万、20万円は稼げるんですからね。
そんな良い思い出しかないホールが閉業。当時バイトに誘ってくれた先輩が現2代目社長でして、わざわざご連絡頂いたのですが『長い間お疲れ様でした』としかいえませんでした。
何度も何度も助けてくださったホールも…
もうひとつのホールは飛び込み営業で入ったのですが、初めて遊技台を買って頂いたホールでしてね。えらく気に入っていただき、本当に沢山の商品を買って頂いたんです。お叱りも沢山受けましたが。
私が困っていている時でも、頭を下げたら不評な台でも買って頂けましてね。『何台でも持ってこい』ときたもんです。パチンコ業界も良かった時代だからこそともいえますが、本当に何度も何度も助けてもらいました。
当時の担当であり課長だったKさんは既に亡くなられているのですが本当に感謝の気持ちでいっぱいです。それにしても、考えれば考えるほど寂しいもんです。
ただ知っているパチンコ店が閉業するだけのことかもしれませんが、その中には数々のドラマがありましたからね。できれば今も健在のパチンコ店には、少しでも長く生き残ってほしい思いです。
私の業界人生は後悔ばかりですが、現在がんばっておられるパチンコ店やそれに関わる人達には悔いの残らないよう精一杯やってほしいと願っています。
私にできることといえば『伝える』ことくらいですが、少しでも共感していただける方がいらっしゃれば幸いです。