メーカーに歴史あり… 数奇な運命をたどり登場した「サミー初のパチンコ機」はいったいどれだ?
パチスロメーカーによるパチンコ初参入の口火を切ったのは、ユニバーサルエンターテインメント(『GIGA』)だったが、それに続いた2番目のメーカーはどこか。これまたパチスロでは大手のメーカー、サミーである。
サミー工業として初めて開発販売した遊技機は「アレンジボール」
そもそも会社としては「アレンジボール」の開発販売からはじまり、まずはパチンコの組合である日本遊技機工業組合(日工組)に加入していた。サミー工業として初めて開発販売した遊技機は『リバティベル』だ。1978年(昭和53年)のことである。
この名称だと冒頭のメーカーのパチスロ機を想像してしまうが、本来の世界基準でいうスロットマシンの現代的なスタイルを構築した伝説的なマシンの名前が「リバティベル」で、それにあやかったのだろう。
それからすぐに業界初となるブラウン管TVモニターを搭載した遊技機『TV雀球』を発売。これはパチスロではじめて液晶画面を搭載した『ゲゲゲの鬼太郎』に繋がる歴史のドラマだ。
サミー初のパチンコ・パチスロ機
さて、冒頭ではパチスロメーカーとしてサミーを紹介したが、じつは同社初のパチスロ機が開発・販売されたのは、前述のアレンジボールや雀球の後になる。1981年(昭和56年)にパチスロメーカーの組合・日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)に加入し、翌年にパチスロ機『エンパイア』がリリースされたのだ。
当時のアレンジボールや雀球はメダルを使用するためか、一応はどちらもパチンコのジャンルでありながら、本格的な業界の主流に乗っかる機種はパチスロになったのである。
こうして、シングルボーナス集中役を搭載した『アラジン』の大ヒットなどもあり、パチスロがメインとなっていくなか、純粋なパチンコ機として最初の機種になる『CRゴールドラッシュ2』が登場する。
これが、メーカーが公式に「初のパチンコ台」とするマシンで、1995年(平成7年)のことだ。大当り確率が1/391、確変突入率1/3、突入すると2回の大当りが約束される、いわゆる「2回ループ」のスペックとなっている。
ドット表示で、図柄は15種類。そのうち1・3・5・7の奇数かアルファベットの「G」が揃えば確変突入だ。演出としては、外れる全回転リーチが搭載されているという。
ちなみに、2009年にグループメーカーとなったタイヨーエレックから同じタイトルの機種がリリースされている。ドット表示や数字とアルファベットで組み合わせられた図柄など、元祖を意識したマシンになっている。
企業として波乱万丈の道のりを歩んできたメーカーだけに、変化に富んだパチンコ参入の経緯は非常に興味深いものである。