パチスロ大量投資を続けている時の感覚に似ている…【濱マモルののほほんコラムVol.122 芽生えた恐怖心】
高い所が好きだった。だった、と記していることでお察しの通り、現在は、苦手とまでは言わないものの、好きとも言い難いレベルだ。
馬鹿と煙は高い所に上る。昔の人は上手いことを言ったもので、若かりし頃のアタシは高所でキャッキャとはしゃぐ残念なタイプ。高層ビルや観覧車、ロープウェイやフリ―フォールなんてものも好物で、わざわざ誓約書まで書いてバンジージャンプに挑んだこともあった。ただ三半規管が弱いのか、ぐるぐると回転する系のジェットコースターは気持ち悪くなるのでNGだ。
思えば、高い所で味わうゾクゾク感に高揚していたのかもしれない。生と死の狭間にいる緊張。この感覚が単純に好きだったわけで、決して高い所でも「平気」という超人ではなかったということだ。
それに気が付いたのは先日、家族で「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」なる施設へ遊びに行った時だった。そこには命綱を装着してスリルと絶景を体感できる巨大クライミングアトラクションがあり、嬉々として息子が挑戦。アタシと娘はその様子を眺めようと軽い気持ちで展望台へ上ったところ、今までにない感覚に襲われたのである。
「これ…すごくない?」。過去に飛んだバンジージャンプは、これよりも間違いなく高かった。それなのに、顔色ひとつ変えずに数々の難所をクリアする息子に自分を置き換えると、絶対に無理だと判断。むしろ少しばかり恐怖を覚えたわけで、超人、もしくはなにかが欠落している息子の雄姿に感心というか、驚きを隠せなかったのが本音だ。
人は年を取ると涙もろくなる。それは、人生経験を積んだことで目の前の出来事と自分を重ね合わせてしまうからであり、ある意味、必然。高所で快楽を味わえなくなったのも、いろいろな経験、環境や立場の変化などがあったからだと推察できる。
となると、気掛かりなのがパチスロだ。3度の飯より連チャン好き。伸るか反るかのマシンに目がなかった時代はどこへやら、このところプライベートで打つのは『ハナハナ』シリーズを除いて6号機ばかりである。
まぁ6号機全てが遊びやすいわけではないが、2~3万円の攻防にすっかり慣れてしまったアタシは今後、もしパチスロの規則が7号機への移行などで緩和されて爆裂仕様が登場しても、それを「アツい」と思えるのだろうか。大量投資を続けている時の感覚は、高所アトラクションでのそれに似ている。件の施設からの帰り道、少しばかり不安になったのはここだけの話である。
(文=濱マモル)