パチスロ「物議を醸した謎の連チャンと様々な噂」~4号機名機伝説~ 『ニューパルサー』後編【アニマルかつみの回胴青春時代Vol.76】
緻密なテーブル式リール制御が繰り出す多彩な出目と、打ち手を選ばぬオーソドックスな仕様とスペックで、累計販売台数23万台という史上最大のヒット(当時)を記録した、山佐の4号機第1弾『ニューパルサー』。
いたずらに目新しさばかりを追い求めず、頑なに伝統を固持したことが古くからのファンに安心感を与え、結果的に高セールスにつながったわけだが、個人的には「変わり映えしないなぁ…」というのが、正直な感想だった。
ただ、わが故郷である兵庫県は神戸市まで出向き、1泊2日のスケジュールで行われた初めてのホール実戦取材は、色んな意味でエキサイティングだった。
時は1993年、ゴールデンウィークが明けてほどなくの5月19日。担当編集のK君と早朝の東京駅で待ち合わせ、始発の新幹線「のぞみ」で神戸に向かった。
新大阪で在来線の新快速に乗り換えて、神戸の中心街は三宮駅に降り立ったのが、午前9時ちょい過ぎ。そのままの足で高架下のパチスロ専門店「W」へ向かうと、すでに店の前には開店を待つ黒山の人だかりができていた。
「みんな、ニューパルサー狙いなんですかね」
「…だろうね、間違いなく」
「取れなかったら、どうしましょう」
「もう一軒の店に移動するしかないなぁ」
そんなことを話しながら待っていると、やがて入り口のガラス戸が開き、人だかりが店内へと吸い込まれて行った。逸る気持ちを抑えつつ、我々も続く。
真新しい緑パネルの『ニューパルサー』はほとんどが先客に取られていたが、離ればなれながらもなんとか二人とも空き台を確保、さっそくデータ取りを開始する。
モーニングに当り快調な立ち上がりを見せたK君とは対照的に、こちらは食いつきが悪く投資が続く。…が、お昼頃に引いた6回目のビッグを皮切りに、台の様子が急変する。
なんて言うのだろうか。まるで、何かのスイッチが入ったかのようにクレジット内の速攻連打や2桁ゲームの数珠連チャンが頻発。そしてそれは夜まで続き、結果的に6千枚近い出玉を獲得したのである。
対するK君の方は、そこまで激しくはなかったものの随所で連打が炸裂し、4千枚強の獲得。つまり、二人合わせて万枚超の大勝となったわけだ。
「二人で万枚? 大したことないじゃん」と、いまの感覚だとそう思うだろう。しかし、当時は5千枚も出せば1週間は自慢できた時代。その夜は、本場の神戸牛に舌鼓を打ちつつ、祝杯を挙げた。
明けて2日目は、新開地の商店街にあった「P」という店で実戦したのだが、「W」での体験がまるでウソのように、自分たちの台も周りの台も至って穏やかな挙動だった。
「ただの高設定だったんでしょうか」
「…かも知れないけど、それにしても…なぁ」
そんな風に頭を抱えながら、我々は東京への帰途についた。
それから数ヶ月後。『ニューパルサー』はすっかり、他を圧倒する4号機屈指の大ヒット機種となっていた。
過熱する一方の人気を裏付けるように編集部には、毎日のように読者からのおびただしい投稿が寄せられた。リーチ目に関するものが多かったが、神戸での初実戦初日に採取した爆裂データに対する反応も少なくなかった。
「あの連チャン性は、やはり異常だ」
「店によって出方が違うらしい」
「最初期に導入されたものには、何かが仕掛けられているかも知れない」
そんな疑念の声や噂話が次々と舞い込み、いつしか「ニューパル連チャンの謎」というワードが誌面に踊るようになった。
もちろん、プログラム解析の結果からは怪しい点は一切、見つからなかった。が、「ニューパル連チャンは、確かにある」という声は、一向に収まる気配を見せなかった。
連チャン性に関する声とともに、攻略法の噂も尽きなかった。
もっとも話題になったのが、「中ボタン攻略法」なるもの。「ボーナスゲームの最後のJAC入賞後に中ボタンを押しっぱなしにすると、ボーナス確率64分の1の連チャンモードに突入する」という冗談のような内容なのだが、最初の検証実戦で(たぶん、たまたま偶然だろうが)あたかも効いているかのような挙動を見せたものだから、さぁ大変。
読者からも「中ボタン攻略法で大勝ちしました」という投書も相次ぎ、ちょっとした騒動に発展したのである。
ともかく、連チャン性についても攻略法についても、結局のところ真偽のほどは登場から28年が経ったいまもなお、謎のままである。
しかし、様々な噂が沸き起こるのは、それだけ多くの人々が『ニューパルサー』という機種に注目、あるいはその魅力の虜になっているという証拠。つまりは、人気機種ゆえの宿命なのだ。
(文=アニマルかつみ)