ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第7話:伝説の0号機攻略【全4回/その3】/BBMを追い続けて
前回は、約6年前に収録した攻略プロ・U氏のインタビューテープをもとに、0号機の時代背景、および東京パブコの幻の機種『BBM』の攻略内容について紹介しました。今回はその続きです。できれば、前回のコラムを先に読んでからご一読ください。
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(聞き手=ドラゴン広石)
BBMを追い続けていた頃のエピソード
「まずはどこに行けばBBMを打てるか調べなきゃならない。当時はインターネットなんてないから、設置店情報は基本的には口コミで広がるんだけど、攻略プロなんてやってる人はかなりの不良系が多いから、なかなか教えてくれないんだよね。店員も打ち手もみんな雰囲気が香ばしい。なので、情報通のプロと仲良くなるしかなかった」
――現在とは全く違いますね。
「だって、パチンコ屋の店員なんて、寝るところがあって、シガレットが支給されるってだけで喜んでなってたもの。シガレットで従業員を釣っちゃう時代だった。夫婦者でもね、雇って貰えばその日から泊まれる。だいたい普通の人間は働いてない。駆け落ちとか、犯罪者とかね。そういう人間が行き着く先がパチンコ屋の店員だったのよ」
――今じゃ考えられない時代ですね。
「昔はガラも悪いし態度も悪い店員が多かった。鍵束をチャラチャラ振り回しながら客のところに来て、出てんじゃねぇか、モクを1本くれや…って。あと、不良店員がシマの端にある玉貸し機に残った百円玉をくすねたり。酷いもんだったよ、ほんと。
それで、攻略の話に戻るけど、情報通のプロと仲良くなっても、最初は攻略ネタなんて簡単には教えてくれないわけよ。当然だよね、彼らにとって飯のタネなんだから。それでもBBMは手順が簡単だから、プロに張り付いて見ているだけで手順を理解した。教わったんじゃなく、攻略手順を見て盗んだんですよ。
それと、BBMにはニューヨーカーのような打ち止め機能がなかった。だから、店員が目分量で札を入れたりね。多かったのは千枚で定量の店。でも、目分量だから実際に流してみると800枚しかなかったり、1200枚あったりもした。結構いい加減だよね(笑)
そして、定量になると店員がドアを開けて電源を落とすんだよ。定量台が開放されるとカタいんだよね。電源が落ちた時点で初期化される仕組みだったから。それでまたチェリーが出始める(笑)」
――なるほど、今のパチスロと違うんですね。今はバックアップ機能が付いているから、たとえ停電になっても復帰すれば直前の状態から始まるけど…。
「そう、昔は停電になったらパチンコの大当りすら飛んだからね。昔のこと全般に言えるかも知れないけど、あの頃はズルい人間の勝ちだったのよ」
――その場合って、店側は電源を落とさない方が…。
「店も知らないのよ」
――ということは、店側がもしも知っていたら、一晩中電源を切らないかも?
「賢い店はそうしていたかもね。でも、犯罪者まがいの従業員は、店側の不利益なんて考えない。電源切ってやるから見返りをよこせと。店員が、小遣い稼ぎで客からカネ貰って電源を落として…。そんな世界だったんだよ、当時のパチンコ屋なんて。
それで、攻略を始めた頃は一人で立ち回っていたけど、知り合いとか友達がいないと新しいネタが入ってこないのよ。まぁ、そういう仲間ってのは、だいたい頬に傷がある系統なんだけど、長く攻略をやれたのは彼らのお陰に他ならない。ピンだと限界があるしね。
あとは、彼らとローテーションを組んでいくつかの店を回り、情報を交換しながら目立たないように抜くんです」
――十分に目立ってると思いますが(笑)。
「だから、最後には出入り禁止になる。
攻略が終わるのは3パターンあって、一つは出入り禁止になっちゃうこと。それから、店側がメーカーに注文して独自のカスタマイズを仕込むこと。つまり、ボタンを押してからリールが止まるまで3周くらい回りっぱなしになる違法改造ですね。そして、最後は機械をハズしちゃうパターン。これだけは避けようがなかったね」
――ところで、定量になると電源が切れる機能が装備されたのは、いつ頃からだったのでしょうか?
「おそらく、バイキングとかニューヨーカーくらいからだと思う。つまり、箱型になってからですね。BBMやスーパーセブンはアップライト型だったから仕様が違う。ああ、だけど確かジェミニは切れたような気がしたなぁ…。他はよく覚えてないや」
(全4回/その4につづく)