事務所に連行された彼は戻ってこなかった…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第10話ニューデートライン】

「設定L」を搭載する理由は?

 いつ頃からだったか、パチスロに「設定L」という意味不明の設定が搭載されるようになりました。事情通の話によるとこれは「設定LOW」という意味であり、打てば確実に負けるから、店側は絶対に投入してはいけないし、仮にヒューマンエラーで間違って投入されても見分けがつくように、下パネルが常時消灯していたり、設定Lを示唆する文言が液晶演出で発生するとのことです。

 そもそも、店が使わないことを前提とした設定なら、最初からそんなのを搭載しなきゃ良いのに…と思ったりもしますけど、どうやら設定Lを搭載することによって、保通協における遊技機の検査をパスしやすくなるみたいですね。まぁ、それなら仕方がないかなって個人的には思います。

 設定Lの出玉率は公表されていませんが、一説によると75%前後らしいです(ただし、機種によっても異なる)。この数値を元に1日に7千ゲーム遊技と仮定した場合、IN枚数が21000枚、OUT枚数が15750枚で、差し引き5250枚のマイナス。つまり、等価交換という条件下で客側が10万5千円も負けちゃいます。これは怖い!

 だけどね、歴史を紐解くと、実は1号機時代には現在の「設定L」に匹敵するほどの低出玉率の機種がゴロゴロしてたんですよ。もっとも、当時と今とでは出玉率の算出の仕方が違いますから、同じ土俵で比較できない…ということを理解した上でご一読ください。

 当時の1号機は不確定要素が少ないことから、ボーナス確率および通常時の小役還元率をもとに計算で出玉率を算出できます。ただし、ボーナスフラグの察知から絵柄を揃えるまでのコインロスを考慮して、若干低めに算出するのが普通でした。当時はボーナス成立後の当倍返し処理などもあり、かなりユーザーフレンドリーな仕様だと言えます。

 一方、現在の6号機(厳密に言えば4号機以降のAT機またはART機)は、不確定要素が大きいために机上の計算で出玉率を算出することができません。なので、各種抽選値をもとに各設定のシミュレーションを行い、100万日分、あるいは1000万日分にも及ぶ大量サンプルの平均値で出玉率を求めます。

 その際に「1日に7000G消化で後は切り捨て」とする場合と、「長期出玉試験=17500Gのシミュレーション」を行う場合がありますが、後者の方が数値は安定しやすいため、出玉率の市場値が辛く出ている機種はこちらを用いている可能性が高いと思われます。

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「第10話 ニューデートライン」

 そんなわけで、ここからが今回の本題です。

 時は昭和61年の夏。若者の街・渋谷にあるパチンコ店に、こぞって1号機パチスロが導入されました。1号機が登場したのは前年ですが、当初は多くの店が様子見に徹していたため設置台数が伸びませんでした。この頃になると「パチスロは商売になる」と判断したんでしょうね、たぶん。

 当時、私は國學院大学の渋谷キャンパスに通っていたため、渋谷の街のパチンコ店は庭のような感じだったんですけど、そのほぼ全ての店がパチンコのシマの一部を潰して1号機パチスロを導入しました。

 ただ、元々はパチンコのシマだったものを無理やりパチスロのシマに変えたものだから、とにかく通路が狭くてしょうがない。パチスロはコイン補給も回収も全て手動でしたから、パチンコのような循環設備は不要につき設備工事なしで入れ替えられましたけど、パチンコ台よりも奥行きがあるパチスロを設置したために、必然的に筐体が手前に迫り出して、通路が狭くなったんです。

 そして、これが後に大きな事件を呼ぶ布石になります。

 この頃、私がよく通っていたのは、明治通り沿いにある「ジャンボ」という店でした。この店も他店の例に漏れず、2F左端にあった三共の「ロイヤルキング」と「ギャラクシーダイバー」の2シマを潰してパチスロを導入したんですが、機種選びがマニアックというかユニークというか…。

 その機種がこれです。

興進産業の「ニューデートライン」。リール制御に山佐と同じ「テーブル方式」を用いた大量リーチ目マシンで、主にボーナス絵柄の組み合わせ型から成るリーチ目総数は400種類を超える。(写真は「パチスロ大図鑑2001/ガイドワークス刊」より)

 スペック表を見て最初に目がいくのが、恐ろしいほど低い設定1の出玉率です。77.9%ってあなた、1日打てばかる~く9万円以上も負けちゃいますわよ!

 ただし、これには理由があって、デートラインはもともと等価営業用に開発されたマシンだったんです。当時のメーカー発表値で設定2以上が100%を超えているため(特に最高設定6の優秀さには目を見張るものがあります)、ドカンと回収できる設定が必要だったんでしょうね。

 つまり、何台か見せ台を作って客側の射倖心を煽り、その実、多くの台には設定2を投入。それでも、本機は完全確率方式で両ボーナスを抽選していたため、ヒキの強い客がいれば瞬間的に猛爆しちゃいます。

 そんな中、不運にも回収用の設定1に座ってしまった客は、自分も同じように爆発するのを夢見つつどんどん負けていく…という、計算され尽くした演出だったわけです。

 まぁ、等価交換で営業するには店側のリスクが高いため、この店では6枚交換+ビッグ終了時に1回交換で営業してました。これなら初期投資との兼ね合いで、設定2や3を多めに使ってもそこそこ利益を確保できます。

 ちなみに、ニューデートラインの「ニュー」は対策機の意味です。初代の無印デートラインにはプログラムミスがあったらしく(具体的な内容については知りません)、すぐに改修されて新規設置分から「ニューデートライン」となりました。

 ところが、バグを取り除いたはずのニューデートラインに、致命的なバグが残っていたんですよ。

 あるとき、客の一人が床に落としたコインを拾おうとして、しゃがんだはずみに台の下パネルにしたたかに頭をぶつけました。通路が極端に狭かったゆえの偶然ですが、彼がおでこをさすりながら涙目になって自分の台を見ると、筐体上部のランプが交互に点滅してるじゃないですか。

「やべぇ、頭突きの振動でエラーが出たか?」

 彼は咄嗟にそう思ったそうですが、実はランプが交互に点滅するのはビッグボーナス中のみであり、どうやらビッグと同じ状態になってるみたいです。冷静になって考えると、頭をぶつける前にハサミ打ちで7絵柄をテンパイさせており、その状態で下パネルに強烈な頭突きを食らわせたらビッグと同じ状態になった。だったら、同じことをやれば自由自在にビッグをかけられるんじゃね?

 結果はビンゴ…だったそうです。彼はこの発見に狂喜したそうですが、実践するにはとにかく目立ちまくるし、何よりこれは正当な手順を踏んで出玉を獲得したわけじゃないから完全な「ゴト行為」に該当します。

 当然、あっという間に店員さんに取り押さえられ、そのまま事務所に連行された彼は、ついに戻っては来ませんでした。その後、この店のパチスロのシマには店員さんが常時立ち続け、1.5号機の「デートライン21」に基板改修されるまで監視の目が厳しかったそうです。

 私はこの現場を目撃してはいませんが、ある日を境にシマの両端に立つ店員さんの数が増えたのを不審に思って知り合いの常連さんに尋ねたところ、こんなことがあったんだよと教えてくれました。

 そんなわけだから、仮に基板改修前のニューデートラインを、当時の状態のままで保存されてる方がおられたとしても、本当にできるかどうか試すのはオススメしません。もしも強行して台がぶっ壊れても、私は責任を持ちませんので悪しからず。

 大切に扱おう、貴重なレア台!

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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