パチスロ界の現状は「時代の流れ」で姿を変えていった結果?【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第26話:交換率について考える】

第26話 交換率について考える

 現在でこそパチスロは全国的に無制限営業(出玉を使って継続遊技できる)が主流ですが、今から約40年前…具体的に言うなら「新風営法」が施行されてパチスロ1号機が登場した昭和60年頃(1985年頃)は、地域や設置機種によって様々な営業形態がありました。

 当時、私は渋谷駅周辺でよくパチスロを打っていたんですが、以下は1号機が爆発的に増殖を始めた昭和61年頃の渋谷駅周辺ホールの設置機種&営業形態です。

1、タンポポ~設置機種・ペガサス(パル工業)・8枚2回交換

 宮益坂の中腹にあった小さなパチンコ店です。2回交換とは「持ちコインがある状態で2回目のビッグを引いたら交換」という独特なシステムであり、交換率も8枚と非常に低いため、普通に考えたら勝てるわけがないんですけどね。

 当時は機械割どころか設定が6段階あることすら知らない一般客が大半だったため、パチスロの物珍しさも手伝ってシマは常に盛況でした。連チャン性が高いペガサス(吸い込み方式)なればこそ…ですね。

2、ジャンボ~設置機種・ニューデートライン(興進産業)・6枚1回交換

 明治通り沿いにあった2階建ての小さなホールです。ビッグ終了後に出玉を交換すれば、同じ台で連続遊技OKというルールでした。

3、白鳥~設置機種・アーリーバード(東京パブコ)・7枚交換無制限

 渋谷センター街の中ほどにあったパチンコ店です。おそらく当時の渋谷駅周辺で無制限営業を行っていた唯一のホールですが、壁にデカデカと「100枚以上の出玉を持っての台移動は禁止」と張り出されており、ハイエナ行為を牽制していたことが窺えます。

4、柳小路センター~設置機種・キャスター(北電子)・7枚交換千円開放

 渋谷109前のスクランブル交差点の脇にあった老舗ホール。「千円開放」とはビッグ後に千円買い足せば持ちコインで継続遊技が可能なルールです。ビッグを引くたびに千円ずつ買い足す必要があるため、現在の感覚だと勝てる気がしないんですけど、当時は1回交換に次いで多い営業形態でした。

5、大番~設置機種・ナイアガラ(サミー工業)・7枚1回交換

 柳小路センターの裏手にあったパチンコ店。設置機種のナイアガラは「ブロック方式」と呼ばれる独特なボーナス抽選を行っており(投入枚数3700枚を1ブロックとして、その範囲内で両ボーナスが発生する回数が決められていた)、大ハマリ後にブロックの終盤で帳尻合わせの連チャンが発生することもありました。

6、アサヒ会館~アメリカーナXX(ユニバーサル販売)・7枚1回交換

 柳小路センターの隣。ただし、表通りには面していないため、店に入るには狭い路地を通って裏手に回らなければなりません。この機種のボーナス成立サインは、いわゆる「遅れ」なのですが(リールが一瞬引っかかったような感じで始動する)、トロピと違って遅れ発生後にさらに50枚打ち込んで、しかる後に小役の連続成立で50枚を払い出されて初めてビッグを揃えられる状態になるんですよ。

 つまり、遅れに気づかないとビッグを捨てちゃうこともありました。ただし、先述したシステムによりビッグ終了時の獲得枚数が他機種に比べて多いため、交換率7枚の1回交換でも6千円くらいにはなるんです。このカラクリを知らない一般客には好評でしたね。

7、ウチダホール~ファイアーバード7(瑞穂製作所)・営業形態&交換率不明

 大番の通りをさらに奥に進んだ場所、井の頭線の脇にあった小さなお店です。ただ、このお店のパチスロコーナーには怖そうなお兄さんがたむろしており、小心者の私はこの店では羽根モノばかり打ってました。

 そもそも、トロピやファイアーのシマは二十歳そこそこの若僧が近づけるような雰囲気じゃなかったのよね。ゆえに営業形態および交換率は不明ですが、周囲の状況に照らせばおそらく7枚1回交換じゃないかと思います。

 以上が昭和61年当時の渋谷駅周辺におけるパチスロ設置状況です。ビッグ後に1回交換のルールにしているお店が多いのは、当時の1号機というのはビッグ終了後に必ず店員さんによる「手動リセット」が必要であり(台の扉を開けて3点スイッチでリセット)、遊技客の管理が容易だったからだと思います。

 今の感覚だと全く勝てる気がしないルールですけど、当時はパチスロ必勝ガイド等の攻略誌は存在せず、台の中身を知らないまま「なんとなく面白そうだ」と思って打つ一般客が大半だったので、こういう無茶なルールがまかり通ったんじゃないですかね。

 あと、この当時の7枚交換店や1回交換の機種には、おそらく設定5&6が文字通りゴロゴロしてたんじゃないかと思います。そうでなければ、後に空前のパチスロブームが到来するわけがありません。

 つまり、当時はお店側が「パチスロの中身を知らせぬまま成功体験を覚えさせる」ことで客を育てていたんです。言葉は悪いけど「愚民政策」みたいなものですね。

 でまぁ、世の中の景気が良く、パチスロ業界も潤っていた頃はそれで良かったんですが、不景気になってエンドユーザーの生活が苦しくなると、必然的に一般客がホールにお金を落としてくれる額も減少します。

 そこで業界が選択したのは「ギャンブル性を上げる」ことでした。結果として昔ながらの7枚交換は駆逐され、平成の中頃にはパチスロの営業形態の主流が「等価交換&無制限」になります。

 当然の流れとして各メーカーもホール側のニーズに応える形で、等価営業に対応した仕様のパチスロを開発しました。早い話が、パチスロ界の現状は、時代の流れで姿を変えていった結果なのでしょう。

 果たして、今後どのように姿を変えていくかわかりませんが、願わくば打ち手が斜に構えず遊技できる環境になってほしいものです。昔のように「まったりと遊べるパチスロ」が復活するのは無理だとしても、新機種のシマがあっという間に通路に化した5.9号機~6号機初期の頃は悲しくて仕方がなかったもの。

 皆さんはどう思われますか?

(※筐体写真は全て「パチスロ大図鑑2001/ガイドワークス刊」より)

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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