【パチスロ・フラグ告知の歴史】頭上の「パトランプ」から告知ランプへ
パチスロ「フラグ告知」の歴史
メインリールではなく、頭上を見上げながらレバーを叩く。かつて、そんな時代があったことを今のパチスロファンはご存じだろうか。
フラグ告知の元祖とも言える「パトランプ」。このパトランプはオリンピアマシンの時代から親しまれており、ボーナスフラグという概念がなかった当時、ボーナスゲーム中にパトランプが回って周囲にアピールするというアイデアが生まれ、その後、0号機時代へ移行すると告知システムの主流となった。
1985年に風営法が改正されて登場した1号機及び1.5号機は、0号機と比べて技術が格段に進化。多くのマシンにリーチ目が採用されたが、プレイヤーの認識がそれに追い付かず、ボーナスフラグが成立しているのにヤメてしまう客も少なくなかった。
その結果、再び多くのホールがパトランプを設置。冒頭で述べた「そんな時代」とは、この頃のことである。
一方、メーシー販売の1号機『トロピカーナ7』はリール制御の副産物として「遅れ」が存在。通常時はレバーONとほぼ同時にスタートするリールが、一瞬のタイムラグを置いて回転し始めたらボーナスフラグ成立のサインで、この遅れはボーナス成立ゲームのみ発生する。
4号機時代に突入すると、フラッシュや音、ランプなどによるボーナスフラグの告知が規定によってOKに。ビッグ成立ゲームの全リール停止時、センターラインのバックライトに「闇」が走るエレクトロコインジャパンの『チェリーバー』、レバーONで筐体上部の告知ランプが光ればボーナス確定となるIGTの『ベガスガール』、ボーナスフラグが成立すると全リール停止時、筐体のトップランプが激しく光ると共にド派手な告知音が鳴り響く大東音響の『ザンガスⅠ』など、様々なマシンが登場した。
ちなみに、史上初の4号機である『チェリーバー』には「確定告知ランプ」も装備されていたが、当時は朝イチのサービスとしてモーニングを仕込むホールが非常に多かったことから、ほぼ告知ランプの配線は切られていた。
頑なに「告知」にこだわり続けたメーカーとは?
また、4号機中期にはリール制御にテーブル方式を採用した大量リーチ目マシンが台頭。一時期、告知タイプのマシンは完全に姿を消したが、そんな中、頑なに「告知」にこだわり続けたメーカーが北電子だ。
元来、完全告知マシンは出目演出が淡泊になりがちだった。だが、告知タイミングを「第3停止ボタンを離した瞬間」に設計した北電子のマシンは、コントロール方式特有のリールのスベリを意図的に発生。加えて、分かりやすいリーチ目も搭載することで、プレイヤーに告知までのプロセスを楽しむゲーム性を提供したのである。
今やボーナスタイプの主流とも言える『ジャグラー』が大ヒットしたことで、以降、再び告知マシンが注目を集めることに。沖スロブームを生み出したパイオニアの『シオサイ30』、史上初の「デジタル告知」を採用した岡﨑産業の『スーパージャックポット』などの系譜も、脈々と受け継がれている。