現代パチンコを支える「革命装置」。業界の成長と共に「大きく」なった偉大な存在
パチンコは「液晶」を搭載したことによりエンターテイメントの扉を開いたのである。そしてそれは、今でもパチンコが存在していることに繋がっている。私を含めたマニアックなパチンコファンは、液晶機を低く見積もり、過剰な演出を嫌悪する。
しかし、液晶がなかったらパチンコは昭和でさえ生き残れなかったのではないだろうか。1900年代のテレビや2000年代のYouTubeが示す通り、映像の力は偉大なのである。
パチンコで初めて液晶が搭載されたのは1989年。平和の『ブラボーエクシード』が業界初となるデジタル表示器に液晶を採用した。ただ、数字を立体的に浮かび上がらせるなど、図柄を綺麗にはっきりと見せることができるといったほどに留まり、技術的な驚きや衝撃を与えるまでには至らなかった。
その2年後に登場するのがご存知『麻雀物語』である。3インチのフルカラー液晶デジタルによって多くのファンを熱狂させたのである。演出自体は、麻雀牌が変動するだけのシンプルな構成であるが、従来のドラム・7セグ・ドットとは異なる「デジタル感」は当時のパチンコファンに未来を感じさせるのに十分であった。
また、大当りラウンド中に展開する女性キャラのセクシーな姿は脱衣麻雀ゲーム的要素も兼ね備え、これまでにない新たな楽しみを提供することとなった。
この『麻雀物語』登場以後、パチンコの演出はその表現力によって劇的に変化したのである。また、ハードとしての液晶自体もソフト面の演出とともに日進月歩の進化を遂げた。
こうした液晶の発展は大きく、巨大化、分化、役物化という3つに分けられる。まずは巨大化。前段で述べたように、『麻雀物語』の液晶は3インチで、初代iPhoneよりわずかに小さいサイズである。そして、2000年に登場した初代『CR天才バカボン』が6インチ、10年で約2倍である。
ところが、そのわずか4年後には20インチの巨大液晶機が誕生した。『CR雀帝倶楽部』である。
これは従来のセル部分に透過のプラスチックを採用し、盤面全体が液晶となる「全画面液晶」機である。パチスロにルーツを持つ当時のアルゼグループが開発したパチスロの全面液晶機「アルゼディスプレイ」をパチンコに展開したのだ。
実は、この『CR雀帝倶楽部』から遡ること2年前、「パチンコ・パチスロ産業フェア2002」という最新機種や関連機器などを集めた展示会が開かれたのだが、そこで平和がコンセプトマシンとして全面液晶機を展示していたのである。
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