パチンコ「アドレナリン放出」画期的アイディア! 射幸性で「社会問題」になったことも……
昭和20年代。パチンコはプレイヤーが玉をひとつひとつ台に入れ、それを一発一発ハンドルで弾いていたが、ハンドルを引くたびに玉が自動的にセットされる循環式パチンコの登場で状況は一変する。
昭和28年(1953年)にツバメ製作所の竹内竹次郎が電動式パチンコを世に送り出した。永久的に玉が発射されるという意味では、現在のハンドルと同じ意味を持つが、実際にはハンドルにすら触れる必要がなかった。このパチンコ台はモーターパチンコ、通称「モーパチ」と呼ばれ、1分間に200発以上の玉を自動連射できたのである。
この連発式やモーパチの登場でパチンコ店が激増するなど一大ブームを巻き起こしたが、その「射幸性」が社会問題にまで発展し、文化人や婦人団体、新聞など各所から非難が殺到。公安委員会によって連発式が禁止されることとなった。このあたりの「業界の流れ」はまったく変わっていないのである。
さて、こうした規制によってハンドルの進化は一時その歩みを止めることになるが、昭和47年(1972年)に遊技機の電動化が認可されると翌1973年に電動式ハンドルが開発され、現在の形とほとんど変わらない形態や仕組みがここで登場したことになる。
基本的な形態や仕組みに大きな変化はないが、演出や仕掛けといった部分では時代とともにさまざまな変容を見せる。
その演出の側面で特にユーザーにインパクトを与えたのは京楽だろう。バイブハンドルやPフラッシュ、ハンドルエアーといったアドレナリン放出スイッチとなる画期的な演出を発明し、パチンコ台のスタンダードな演出となるまで浸透させたのである。
ほかに、機能面でいえば、左打ちと同じハンドル位置に固定しながらハンドル全開と同様のストロークを発動できるボタン、いわゆる「右打ちボタン」の発明がある。最初に搭載したのはサンスリーの『CR戦国無双』であろうか。通常時のストロークを保ったまま自動で右打ちに切り替わるので、その筋の方たちには重宝したかもしれない。