【SANKYO羽根モノの軌跡―その1】『フィーバー』でパチンコ業界を救った三共…「羽根モノ第1号」は様々なタイプが存在
『フィーバー』でインベーダー不況を打破
1978年、物価の高騰からパチンコの貸玉料金が1玉3円から4円に変更された。この金額は現在も続いている。
同年には、パチンコの人気に大きな影響を及ぼす、もうひとつの事態が勃発した。それは「インベーダーゲーム」の登場。ゲームメーカー・タイトーが発売した同ゲームは社会現象とも言えるほどの大ヒットを記録し、テーブル型の筐体を置くインベーダー喫茶や、「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターなども続々と誕生した。
「インベーダー不況」。まさしくインベーダーに侵略されたパチンコ業界は苦境に立たされたが、そんな中で迎えた1980年、三共(現・SANKYO)は満を持して超特電機『フィーバー』を発売する。
当初こそ話題にならなかったものの、新潟県にあったホールが123台もの台数を導入し、瞬く間に打ち止めになることを知らしめると、その噂が各地へと広がり、一時は全国の設置台数が182万9,000台に及んだと言われるほどのブームを巻き起こした。これを機に、パチンコ業界は再び人気を取り戻した。
三共の「羽根モノ第1号」は様々なタイプが存在
一方で1981年、同社は羽根モノ第1号『ギャラクシーダイバー』を輩出。始動チャッカーのゲージと肩のチューリップが特徴的なマシンで、羽根開放時は全開時よりも閉まりかけに拾われた方がV入賞しやすい傾向にあった。
その後、同社は『ギャラクシーダイバー2』『ギャラクシーダイバー3』『ギャラクシーダイバー8』『ギャラクシーダイバー’83』『ギャラクシーダイバー’84』『ギャラクシーダイバー’85』と、カウント数の有無や盤面下部のゲージなど、構成が異なる様々なタイプを製造。最もメジャーとされるのは『ギャラクシーダイバー3』で、『ギャラクシーダイバー’85』は10カウント機だ。
この『ギャラクシーダイバー』と共にヒットしたのが、1982年リリースの『キングスター』。V入賞後は最高18回の羽根開放という常識を覆した仕様で、こちらも多くのシリーズ機が存在した。
ちなみに、同社は1981年に羽根が上下に2つある『タイムトンネル』、1982年にはLUCKYと書かれた、通常時にはシャッターで覆われている部分に玉が入ればV入賞となる『空中戦』、役物上段ステージに玉が導かれれば大当りへと繋がる『ローリングファイヤー』なども世に送り出した。