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ぼくらはあの頃、アツかった。『鉄火場だった頃のホール』を懐かしむ中年による回顧録が、今始まる!

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 学生時分の話である。当時通っていた大学のゼミでの事だ。講義の最中、准教授のMさんという人が突如、こんな話をし始めた。

 余談ですが──という一言から始まったそれを、今でも筆者は鮮烈に覚えている。

「余談ですが、みなさんはパチスロというのをご存知でしょうか。私は今、花火というパチスロに猛烈にハマっておりまして。あまりこういう場所で言うべき事でもないのですが、今この瞬間にも、ドンちゃんを揃えたくて仕方ありません。この辺に良いホールがあったらぜひ私に教えてください」

 話を放り込んだ意図は全く不明だが、まあ准教授とは言え年の頃は30とかその辺なので、単に若気の至りだったのだろう。だがその若気の至りの余波は、それよりもっと若かった当時の筆者にはクリティカルに響いた。

 それまで筆者の中ではマイナーなサブカルの一つに過ぎなかったパチンコ・パチスロが、アカデミックなお墨付きを得た瞬間だった。その翌日だ。筆者は人生で初めて自らの意志でホールへと向かい、そして初めて自分のお金でパチンコを打った。

 長きに渡る闘争のはじまりである。

一発目に権利物。

 筆者が初めて打ったパチンコ。それは『ギンギラパラダイス』であった。

 厳密にいうとその前に『電車でGO!』か何かをチョロっと打った気がするが、初めて大当たりを引いたという意味ではギンパラが初だったと思う。「権利物」という、初心者が打つにはやや複雑なシステムを備えた台だった。

 当時のホールは今ほどルーキーに優しくなく、インストカードなどの類は一切置いてなかった。当たった瞬間、何をすれば良いのか全く分からず、筆者はとりあえず通路脇に控えた店員さんに向かって手を上げた。挙手である。困ったら挙手。筆者は優等生であった。

 面倒くさそうにやってきた店員さんはパンチのオヤジで、完全にあっちの世界の人に見えた。

──これ、どうすれば良いのでしょうか。

 恐る恐る尋ねると、パンチは頷いて『ハンドルを右に』と言った。言われた通り右に回すと、玉が凄い勢いで撃ちだされ、ぐるぐる廻る役物に吸い込まれて行く。役物の回転に併せて玉が巡り、上部に取り付けられた穴に入ると、画面下部の入賞口が開いた。

 刹那、猛烈な勢いで出玉が払い出される。あっという間に下皿に玉が溜まった。あわあわと慌てる筆者の様子を見て、パンチが左側からそっと手を伸ばし、優しく下皿の玉を抜いてくれた。

 何度か繰り返し、いよいよ箱が一杯になりそうになると、今度はパンチが無言で空の箱を差し出してくれた。パンチが箱を床に下ろし、持たされた空箱を空いたスペースに置く。スムーズな箱移動に「なるほど」と膝を打った。

──後二回当たるから。

 簡潔な説明に半信半疑ながらも頷いた。その後、言われた通り二回当たった。

 パンチは大当たり消化中、ずっと腕を組んで真後ろに立ってくれており、あろうことかその後の交換の手順も全部マンツーで教えてくれた。権利物の仕組み。一回交換の概念。出玉のカウントから交換まで。すべてパンチのおじさんから学んだ事である。

 彼はとても優しい人だった。不言実行。沈黙は金。雄弁は銀。寡黙な昭和の男であったのだ。見た目で損する事もあるだろうが、どうか満ち足りた人生を歩んでほしいと思った。

 記念すべきデビュー戦。負ける気満々で打ったものの、結果は黒字だった。体感時間は10分かそこらだったが、店を出て車に戻り時計を見ると、1時間近くが経過していて驚いた。

 ハンドルを握り家路へと向かう道すがら『ファミコンショップ』というそのままの名前のゲーム屋に寄り、浮いたお金でセガの『ドリームキャスト』の中古を買った。なんというか、狐につままれたような気分だった。

成長

 しばし後、筆者は立派なパチンカーへと成長していた。
 
 お気に入りの機種はダイイチの『CR天才バカボン』とサンキョーの『CRフィーバーワイドパワフル』。それと高尾の『CRピラミッ伝』などなど。

 なかでも京楽の『CR必殺仕事人』は狂ったように打っていた。大当たりが確定するプレミアム演出として、「ハンドルが震える」というのを搭載した最初の機種である。最初にバイブレーションを感じた時は思わず変な笑いが出たものだ。

 当時は特に何も考えずに打っていたので負けっぱなしであったが、筆者はすっかりパチンコが持つ──その刹那的な興奮の虜になっていた。

 ある夏の日。

 行きつけのCというパチンコ屋で、Mさんに会った。筆者のパチンカー化のきっかけを作った、あの講義中の余談の当本人である。彼の講義はもう受けていなかったし、あちらとしても筆者の顔など覚えていないだろうと判断して話しかける事こそしなかったものの、なんとなく気になって目で追うと、彼は我がホームベースであるパチンコのシマを早足で素通りし、一目散に奥まったパチスロのスペースへと向かっていった。そこには「地域最強!ハイビスカスコーナー」と書かれてあった。

 ハイビスカス
 
 なぜにパチンコ屋にハイビスカスが関係あるのだろう。そういえばこの辺りのパチンコ屋にはいたるところにハイビスカスをモチーフにしたポップやらポスターが貼ってある。もしかして何かの隠語だろうか。どことなく淫靡な雰囲気が感じられるし、気になる。

 丁度その時打っていた台の確変が終わったところでタイミングも良かったし、筆者は出玉を流し、ハイビスカスの誘いに乗ることにしたのだった。さあ、生まれて初めてのスロットだ。

 全く分からないまま適当に空いてる台に着座し、周りの様子を伺いながらプレイする。

 メダルを三枚入れて、レバーを叩く。ボタンを押す。
 メダルを三枚入れて、レバーを叩く。ボタンを押す。

 毎ゲーム時間を掛けて偉そうな7図柄を狙ったが、当たり前のように揃わない、というかこれは狙ったら揃うものなのだろうか。周りを見ると誰も何も狙っていないように見える。

 パチンコよりも早いペースでお金が消えていった。3000円使った辺りで「これは何か当たらないと7は揃わないんだろう」と判断して適当に押し始めると、いよいよ何が面白いのか全く分からなくなった。

 それでも頑張ってプレイし続けていると、突如、盤面が輝いた。ハイビスカスが点滅している。どうやら大当たりだった。タバコに火を点け、しばし眺める。
 
なるほど、ハイビスカスが輝いたら当たりの台が流行っているから、ハイビスカスコーナーが設置してあるのか。と思った。

 三枚入れてレバーを叩く。リールが回る。明らかに7を揃えよと言わんばかりに、ブラックアウトした盤面に7だけが白く浮かび上がって回っていた。困った。揃えられる気がしない。伝家の宝刀を抜く時だろうか(挙手)。ふと周りを見ると、隣のシマで別の台を打ってるMさんを見つけた。ふぅ。そうだ。奴さんがいた、と思った。小走りで近づいて肩を叩く。

──すいません。俺以前○○の授業を取ってた者なんですが、7揃えてくれませんか。

 我ながらアホな台詞だったが、Mさんはすぐさま合点がいった様子で、席を立ってハイビスカスのところまで来てくれた。そして「パチスロは初めて打つの?」と聞いてきた。頷く。すると彼は笑って首を振った。

──じゃあ、自分で揃えた方がいいよ。きっと一生の思い出になるから。

 言われるままに座って、まわりっぱなしのリールと向き合った。白く浮かび上がる絵柄。タイミングを測って狙う。左ボタン。7が滑り、第一停止は成功。緊張したが、背後にはMさんがいて、暖かく見守ってくれていた。いつかの、パンチのおじさんを思い出す。

 中ボタンを押した。効果音と共に、白い7図柄がテンパイする。両隣のオヤジが、微笑んで俺の様子を見ていた。

 皆が見守っている──。

 核家族。格差社会。就職氷河期。

 やれIT革命だY2Kだと横文字を気取って隠しちゃいるけど、薄氷一枚隔てた足元は、不安定で薄暗くて心細い世相だ。人との繋がり。同じ趣味を持つ同志の互助精神。持ちつ持たれつ。慰め、讃え、励まし合う。そこには人が居て、人が居た。

 Mさんと、そして心の中のパンチのおじさん。さらには両隣のオヤジに見守れながら、俺は第三停止ボタンを押し、そして──その停止ボタンの感触は、今でも心に残っている。

 7は見事、一発で揃える事が出来た。

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