台を「力まかせに殴る」場面に遭遇!?【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』3話:ニューヨーカー】

第3話 ニューヨーカー

 時は昭和57年の夏。当時、私は下祇園(広島県広島市)という小さな町で大学生をやっていました。親元を離れたダメな男が最初に覚えるのが「飲む」「打つ」「買う」の三つだと言われてますが、私の場合は悪友に誘われてパチンコ&パチスロ(つまり「打つ」)を覚えちゃいました。私をこの道に引きずり込んだ本田くん、40年以上も音信不通だけど今も元気にしてますか?

 さて、下祇園には3軒のパチンコ店がありました。ニューマンモス(設置機種はユニバーサル販売の『アメリカーナ』)、ホノルル(パチスロの設置は無し。かわりにデジタル抽選による特賞付きアレパチ、いわゆる「アレンジフィーバー」を設置)、ロータリー(設置機種はマックス商事の『ニューヨーカー』)の各店は、それぞれ客層が大きく異なり、プロっぽい怖そうな客が多かったホノルルに、私はあまり近づかないようにしてました。

 ちなみに、2022年9月現在、これらのお店は全て閉店してます。嗚呼、諸行無常!

例外なく新聞紙がくしゃくしゃに丸められて床に散乱

 私がパチスロを主に打つのはロータリーでした。店選びの理由は単純明快。1日の大当り回数がニューマンモスより多かったからです。ようするに、中身はわからないながらも、勝てる可能性が高い店で打とうとしていたわけですね、ええ。

 当時は現在のような「大当りカウンター」なんてありません。大当り(REGの連チャン状態)に突入すると、頭上のパトライトが回り、それを確認した店員さんが1枚ずつ札をめくる…という、極めて原始的なシステムでしたが(空き台の札をめくって大当り回数を水増しするような酷い店もありました)、闇雲に打つよりは少しはマシだと思っていました。

 でもって、この店に限らずパチスロを設置している店は、どこも例外なく新聞紙がくしゃくしゃに丸められて床に散乱していました。原因はコインのまとめ買い。

(注・厳密に言えば、遊技用のコインは店からの借り物であり、名称も「コイン」ではなく「メダル」が正しいのだけど、当コラムではパチスロ雑誌の慣例に従い「買う」「コイン」と表記します)

 どういうことかと言うと、「カウンターで千円分のコイン(50枚)を新聞紙に巻いた棒を売っていたんですよ。銀行などで大量に小銭に両替すると、同一種類の硬貨を筒状に巻いた棒が出てきますが、あれのコイン版と考えればよろしい。

 当時はコインサンドなんていう便利なアイテムはまだありませんし、コインを買う際にはシマの端っこにある「メダル貸し機」まで往復しなきゃならない。これが凄く面倒でね。

 かといってメダル貸し機でまとめ買いすると大損ですから(10枚交換につき価値が半分になる)、頭の良いホール経営者が智慧を搾った結果、考案されたのがカウンターでのまとめ買いでした。

 朝イチに目当ての台をタバコ等で確保したプレイヤーは、まずはカウンターに行ってコインのまとめ買いをします。「5本!」とか「10本!」と言って現金を差し出せば、その本数の棒を渡されます。5本なら5千円、10本なら1万円ですね。

 そして、それを受け取った客は台に戻って筐体の上に立てて並べ、1本ずつ筐体のカドにカシャンとぶつけて外装の新聞紙を破り、ジャッって感じで下皿にコインを広げるんです。熟練したスロプロになると、この仕草がもの凄く格好良くってね。私もよく真似をしたものです。

 そして、外装の新聞紙はそのまま床にポイっ! 今だったら遊技マナーがどうのと叩かれそうですが、当時はこれが普通でしたし、数十分おきに掃除のおばちゃんが片付けてたので、そういうものだと納得していました。

 ちなみに、外装の新聞紙を破りさえしなければ、カウンターで元の値段のまま買い取って貰えました。メダル貸し機までの往復が面倒な打ち手側と、台の稼働時間を少しでも上げたい店側の思惑が一致した、実に見事なアイデアだと思います。このシステムを最初に考えた経営者は天才ですね、ええ。

 余談ですが、中には新聞紙ではなく包装用の専用紙で巻いていた店もありました。だけど、いかんせん1日に何百枚と使いますし、コストを考えたら新聞紙で十分でしょ…って流れになるのは当然のこと。だって、結局は破るんですもん。

 なお、現在でも「1本で喰い付いた(投資が千円という意味)」とか、「総投資25本」という表現をするプレイヤーがいるのは、コインを「棒」で買っていた頃の名残りだと言われています。知らなかった人はスロ仲間に教えてあげてください。

『ニューヨーカー』に関する忘れられないエピソード

 えーと、随分と話が遠回りになりましたが、件の『ニューヨーカー』はリールがバウンドストップする台でした。いや、たぶんそういう機能や演出ではなく、単純に過剰な稼働による疲労骨折みたいな感じで、ステッピングモーターが劣化してたんだと思います。0号機にはウエイト機能なんてものがなく、やろうと思えばいくらでも早く回せたから、台のメカニズムのかかる負荷は相当なものだったのでしょう。

 そして、さらに困るのは台を力まかせにドツく馬鹿が多かったこと。ドツキマンは今でもたまに見かけますが、当時の客は今とは比較にならないほど乱暴でしたし、地域的に考えてもガラが悪かったから、若干18才の私はドツキマンが隣に座ると、すぐに自分の台を捨てて逃げました。

 当時は基本的に打ち止め制の1回交換でしたから(打ち止めになると一旦稼働を止め、店側が決めた時刻になったら抽選解放する。要はパチンコの打ち止め台と同じ)、1台に固執する気が全くなかったんですね。今から考えると、随分と勿体ないことをしたと思います。

 ニューヨーカーの外観はこんな感じ。

マックス商事の『ニューヨーカー』。その名の通りニューヨークをモチーフにしており、筐体上パネルの自由の女神は、ボーナスゲーム中にJACがヒットするたびに1個ずつ消灯していく。(写真は「パチスロ大図鑑2001/ガイドワークス刊」より)

 ある時、大負けして腹を立てたおっさんが、傍にあったパチンコ用の800個箱で、台を力まかせに殴る場面に遭遇しました。次の瞬間、「バキッッ!」という暴力的な音を残して中央パネルに亀裂が走って…。

 当然のことながら店員さんが注意する…というか、数人でおっさんを囲んで連行しようとしたんですが、このおっさんも大人しく捕まることなく、拳を振るっての大立ち回り。私はこの一件を目撃して以来、怖くてこの店のパチスロコーナーには近づかなくなりました。

 台を殴ったおっさん、今も元気ですか?

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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