「プログラム解析」をめぐる解釈の相違により「全面対立」に発展!?【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第70話:必勝ガイドとマガジンのバチバチ~前編】
第70話 必勝ガイドとマガジンのバチバチ~前編
先週の木曜日(2月8日)、御徒町にある山佐NEXTさんのショールームにお邪魔して、話題のスマスロにして山佐さんの最新機種『Lキングパルサー』の取材実戦をさせて頂きました。
キングパルサーといえば、4号機時代の末期に斬新な連チャンシステムで一世を風靡したサイレントストック機の元祖です。いや、正確に言うなら2001年の9月にデビューした初代「スーパーリノ」の方が登場時期は早いのですが、同システムを世の中に広く知らしめたのは同年の翌10月にデビューしたキングパルサーの功績なので、ここでは敢えて両機種を「サイレントストック機の元祖」としておきます。
さて、話は戻って「Lキングパルサー」のデータ取りを担当したのは、山佐マシン(特にニューパル)について語らせたらちょっとうるさいガル憎さんとゴトロニ、それに担当編集のゲンク鈴木くんと私・広石の計4名でした。
山佐マニアの2人は例によってあーでもない、こーでもないと激論を闘わせつつリール制御や演出のチェックに余念がなかったわけですが、残念ながら私は「キングパルサー」と名の付く機種を打つのは4号機時代を含めてこれが初めてでした。
いや、もしかすると触った経験はあるかもしれないけど、当時の私はサイレントストック機が大の苦手でしてね。「自分で貯めて出すだけなら何の旨味もないじゃん。他人様の立てたボーナスフラグなんていらないから、自分が引いたボーナスくらいは自分で消化させろ!」と吠えていたんですよ。嗚呼、若気の至り。
そんなわけで、私がストック機に苦手意識を持たなくなるのは、「ストックがあるのが当たり前で、そこにあるボーナスをいかにして引き出すか」というゲーム性に転じた「巨人の星」や「ギンギン丸」などが登場して以降につき、歴代のキングパルサーとは全く縁がなかったんです。
だけど、裏を返せば『Lキングパルサー』のゲーム性を特別な先入観を持たずに純粋に評価できるため、私だけ昼食も摂らずに頑張ってキンパル先生をブン回しましたわよ。実戦結果と感想は2月29日発売の「パチスロ必勝ガイド4月号」をご覧ください。
でもって、歴代のパルサーシリーズについてあれこれ考えていたら、不意に初代『ニューパルサー』を思い出しちゃいましてね。当時の自分は単なるガイド読者の1人に過ぎませんでしたが、あの頃ってガイドとスロマガがニューパルの抽選システムをめぐって、毎号のようにバチバチと火花を散らしていたなぁ…と。
以下、本編。
---
「パチスロ必勝ガイド」と「パチスロ攻略マガジン」の表立った対立の始まりは、「解釈の相違」によるものでした。
95年の春にガイド編集部から「ニューパルサー必勝ガイド」という増刊号(パチスロ必勝ガイド6月号増刊)が発売されたのですが、その記事の中でガイドの担当者はニューパルの役判定を「二段階方式」と紹介しました。ざっくり説明すると、ニューパルは最初に64分の1の第一判定を行い、これに当選するとボーナス判定へと進む。非当選だった場合は小役判定に進む…という流れです。
それに異を唱えたのがスロマガでした。
ニューパルの乱数生成カウンターは1本のみで、そこから取得された値が直接ボーナス判定に使用される。従って、二段階判定というのは誤りだ。単なる一発判定だ…と、そう主張したんですね。真っ向からニューパル必勝ガイドを否定する内容です。
結論から言うと、実はどちらも間違いではないんですよ。
パチスロには役判定の順番があり(レバーオン時に取得した乱数がどの役に当選しているかを順番にチェックしていく)、何らかの役に当選していれば当該役を揃えられるリール制御が選ばれます。マシン内部ではこの処理が一瞬で行われるわけですね。
そして、問題となったニューパルの場合は最初にボーナス判定を行うんですが、取得した乱数が256以上だった場合にはボーナスの可能性がないため、それがわかった時点で以降の判定を行わず、即座に小役判定の処理に移行する仕組みです。
これを二段階判定と解釈するか、一発判定と表現するかは解析人の考え方次第。正直、個人的にはこの論争に全く興味がありませんでした。まぁ、私が「パチスロ必勝ガイド」の誌面作りに参加したのは、95年の12月(月号で言うなら96年2月号)からであり、ニューパル必勝ガイドの制作時には部外者だったことも大きいんでしょうけどね。
ただ、論争の中で「この書き方はどうなのよ」って思う記事はありました。以下、スロマガ96年11月号のニューパル巻頭記事より抜粋。
《G誌は当初はあたかも抽選自体が2段階であるかのように書き立てていた。本誌の指摘により多少言い回しを変えてきたが、曖昧な言葉で読者を煙に撒こうとせずに、きちんとした説明を行うべきであったと思う。もっとも、その能力がないのなら仕方がないが。》
冷静かつ正論に見える文章の中で、最後の一言だけは余計だと思います。
<後編につづく>