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パチンコ「夜の街もパチンコの世界も激変──とあるパチンコ素人による昭和60年のパチンコ風景・前編」【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.002】

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 万年ダメ虎と言われ続けていた阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝、そして38年ぶり(2リーグ制になって初)の日本一を勝ち獲った昭和60(1985)年。

 夏に20回目の誕生日を迎え、晴れてオトナの仲間入りを果たしたものの、相変わらず気持ちは十代半ばのロック少年のままだった自分は、前年に組んだバンドで大阪のライヴハウスを舞台に、音楽活動にいそしんでいた。

 自主制作したシングルレコードが音楽専門誌に取り上げられ高評価を得たことで、ライヴの動員も増えた。音楽活動においては、ぼんやりと…だが、確かな未来を感じていた。

 が、いまよりもずっと景気がよかった時代とはいえ、音楽だけでメシが喰えるほどオトナの世界は甘くはなかった。なので、ふだんは何かしらのアルバイトをして、活動資金などを稼がなければならなかった。

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 この年の春頃、ミナミは心斎橋の鰻谷あたりにあった、小さなアクセサリー工房でアルバイトをしていた。

 ちょい年上のオネーサンたちに混じって同年代の男子が二人いたのだが、彼らは揃いも揃って、大のパチンコ好きだった。

「昨日、○○○○で3回、終了(打ち止め)したわ」
「まじで!! すごいやん!!」
「今日、○○の○○○○が新装らしいで」
「ほな、帰りに行こうか」

 作業中、そんな話をずっと耳にしているものだから、パチンコには興味のなかったこちらとしても、給料日あとで懐に余裕のある時などは、「ほな、ちょっと付き合おうか…」と気持ちが動いたものである。

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 ところで、この年。パチンコ業界にとって大きなエポックがあった。前年、風俗営業取締法が大々的に改正され、風俗営業の適正化に関する法律…いわゆる新風営法が発布。

 それまで、各都道府県の公安委員会の裁量に任されていた遊技機の許認可が、現在のように保通協による型式試験にバスすることが必須となったのである。

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 まぁ、そんなことは一般のパチンコ打ちにとっては「ふーん、そうなんや」な話だったし、そもそもパチンコに詳しくなかった自分にとっては、夜遊びの果てに終電を逃した時の朝までの居場所だった繁華街のゲームセンターが新法により午前0時をもって終了してしまうことの方が、喫緊の懸念事項だった。

「ネオンが一斉に消えた街──新風営法施行」

 そんな見出しが新聞に踊り、自分を含めた夜行性の若者たちは、途方に暮れ路頭に迷った。

 一方、件のパチンコ好き連中にとっては、現実問題として「フィーバーの出玉が、めっちゃ減った」ことが、なによりもショッキングだったようだ。

 昭和55(1980)年に登場し、社会現象的なブームとなったデジパチ(当時は「超特電機」と呼ばれた)は、それまでのパチンコの概念を根底から打ち崩すギャンブル性の高さで、度重なる規制の対象となった。

 当初は、一度大当りすると店が定めた打ち止め個数に達するまで延々とアタッカーが開放して玉が出続けていたものが、「1回のアタッカー開放につき10個入賞まで」とか、「1回のアタッカー開放時間は30(のちに15)秒まで」と段階的に規制され、出玉は2千数百発程度に固定。

 それがさらに新風営法によって、賞球13×10カウント×10ラウンド=1300発にまで減ってしまったのである。

「去年までは、一発当たったら6千円にはなったのになぁ…」
「せやなぁ。新しいのは、3千円ちょいにしかならん。しょぼいわ…」

 そんな風に彼らは嘆いてたのだが、だからと言ってパチンコをやめることはなかった。聞けば、「出玉は減ったけど、ものごっつ当りやすくなったんや」というのだ。

 聞くところによると、最初期のデジパチの大当り確率は、在りし日のMAXタイプに相当する約500分の1だったそうだが、新風営法に準拠した、いわゆる「1300発機」では、200~250分の1にまでアップ。

 さらにいうと、多くのデジパチにはストップボタンを用いるなどして大当り確率をアップする攻略法が存在していて、一般週刊誌にも手順が掲載されるなど、ちょっとしたブームが巻き起こっていた。

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 しかし、「美味しい話にはオチがある」をモットーとしていた自分は真剣に向き合うこともなく、なんとなく気が向いた時にだけ職場の近くの店に「ふらり」と立ち寄り、チューリップ台やヒコーキ台で「ふわっ」と玉を弾いては、すぐに飽きてヤメるを繰り返していた。

 そんな、ある日のことだった。

 たまたま、新台のデジパチ…7セグタイプだったので、たぶん平和の「ブラボーなんちゃら」だったか。打ち始めるとすぐに「5・5・5」が揃って、大当りとなった。

 生まれて初めての、デジパチの大当り。あまりに突然のことで、しばし呆然としていると、上皿と下皿に玉があふれ、やがて玉が飛ばなくなった。

「ピーポー、ピーポー」

 鳴り響く警報音。振り返る周囲の客たち。なすすべもなく、思わずパニックになってしまった。

 ひょっとしたら平和の「ブラボー」ではなく、三洋の「パニック」だったのかも知れないな。

(つづく)

(文=アニマルかつみ)
〈著者プロフィール〉
兵庫県尼崎市出身。1992年春にパチスロ必勝ガイドのライターとなり、以来30年にわたってメディア人の立場から業界の変遷を見つめてきた大ベテラン。ぱちんこ・パチスロの歴史に関しては誰にも負けない博識を持つ。最近ではYouTube動画チャンネル「ぱち馬鹿」のメンバーとして、各種企画の制作や出演、生配信などにも精を出している。ライター稼業のかたわら、ロックバンドのベースプレイヤーとしても活動中。愛猫家。昭和レトロ好き。
■Twitter(@anikatsu213):ANI-Katsu(アニマルかつみ)

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