何日経っても「報酬を支払う旨の連絡」は無し…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第61話:パチンコのデータ取り】
第61話 パチンコのデータ取り
前回のコラムで「東陽会館の思い出」について綴ったのですが、平成7年当時はふらりと店内を覗けばショッカー(パチンコ必勝ガイドのデータ取り精鋭軍団)が実戦している場面によく遭遇しました…と書いている内に、一つ思い出したことがあります。実は私もパチンコ編集部に依頼されて、とあるデジパチのデータ取りをしたことがあるんですよ。
そんなの簡単じゃん。大当りした回転数と大当り図柄を採取するだけでしょ…と思った読者さんは、残念ながら認識が浅いです。当時のパチンコのデータ取りっていうのは、パチスロの比じゃないくらい大変だったんですから…。
まずは、大当り回転数と大当り図柄、保留玉のチェックは基本中の基本。それに加えて、リーチが発生した際の発展先、チャンスアップの有無、最終的な当否を採取した上で、大当りが発生した場合には各ラウンドのアタッカー入賞個数、Vゾーン入賞個数も要チェック。さらに確変に突入したなら、電チューが開放するたびに何個拾ったか、その際に保留玉はいくつ点灯していたか…などを採取し、場合によっては意図的に大当りをパンクさせて、以後の台の挙動を観察することもありました。そこまでする理由は、この少し前の時期まで「連チャン促進打法」などのネタが発覚するケースがあったからです。
パチンコ歴が古い読者さんならご存知だと思いますが、平成初期はいわゆる連チャン機が大人気を博していた時代です。その内部システムは様々で、保留玉を書き換えるタイプからモード式の数珠連チャン仕様まで多くの機種が登場しており、一見すると意味のないように思える前述のデータから連チャンの糸口が解明される可能性がありました。
もちろん、平成7年当時はすでに違法連チャン機は姿を消しており、世の流れは合法的な連チャンシステムを備えた「CR機」と「時短機」に移行していましたが、もしも、万が一、何かの間違いで意図的な連チャンが発生する可能性があるなら、それを調査するのがパチンコ攻略誌の使命だと考えていたのだと思います。
まぁ、結果的にそうした苦労は無駄に終わるんですけど、こういう難易度の高いデータを採取していた先輩ショッカーの皆さんを私は心から尊敬しています。
以下、本編。
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時は平成7年(1995年)の11月。この頃、私はガイドのライターになったばかりで、主にパチスロの実戦人として働いていました。本当はショッカー(パチスロ版のデータ取り精鋭部隊)入隊を希望していたんですが、下っ端の新人が隊長のコホさんよりも年長なのは具合が悪いという理由により、一緒にデータ取りを行ってはいるけれど、遂に一度もショッカーを名乗らせて貰えませんでした。
ともあれ、入ったばかりのド新人にいきなり原稿なんて書かせて貰えるわけがないし、暇な時は主にプライベートのスロ(主にクランキーコンドル)を打って生活費の足しにしていたんですけど、あるときパチンコ必勝ガイドのA・チャラ男Jr.編集部員(仮名)から「暇ならデータ取りのお手伝いをしてくれませんか?」というお誘いがあったんです。
そりゃあ喜びましたよ。だって、私はもともとパチンコ必勝ガイド編集部を訪ねて丁重にお断りされたクチですから(その代わりに大崎さんのご厚意でパチスロ必勝ガイド編集部を紹介して頂きました)、憧れの「パチンコ必勝ガイド」のデータ取りをお手伝いできるというだけで、すげぇ舞い上がっちゃったんです。嗚呼、若気の至り!
依頼されたデータ取りの内容は、三星の現金デジパチ『麗ギャルズ』の時短突入絵柄の調査でした。
ようするに、麗ギャルズはゲーム性の特性上、時短突入図柄の組み合わせが伏せられていたんです。本機の出目は左&右デジタルが1~16までの数字(ギャルのイラスト)で、中デジタルにのみ赤・青・紫の3色の数字があり、どの組み合わせで当たれば時短に突入するのか確かめて欲しい…という依頼でした。
すでにある程度まで組み合わせが判明して一覧表にまとめているので、広石くんはできるだけ多くの大当りを引いて、表の空白部分を埋めてくださいねと。
正直、アタッカー入賞個数やパンク実践とかだったらどうしようと、A・チャラ男Jr.編集部員(仮名)に話を聞くまでは不安だったんですが、さすがにそんな難易度の高いデータ取りをパチスロ編集部に入ったばかりのド新人に頼んだりはしませんよね、ええ。
実戦はこの店で…と指定されたのは、高田馬場のダイナムでした。当時、高田馬場には前述した東陽会館の他に、日拓イオ、コスモ、国際センター、USA、日拓本店と7軒のパチンコ店があったのですが(他にスロ専が1軒あり)、不思議なことに麗ギャルズはダイナムにしか設置されてなかったんですよね。
でもまぁ、受けた仕事はきっちりやりますよと、意気込んだ私は2日間打って、時短出目の空白の大半を埋めることに成功したんです。
延べ2日間の収支はマイナス1万8千円也。負けはしましたが、データ取りの成果を褒められたことで、私は気分良く編集部を後にしたんですけどね。
困ったことに、それから何日経っても報酬を支払う旨の連絡がありません。そうこうしている内に暦は平成8年となり、意を決してA・チャラ男Jr.編集部員(仮名)に尋ねてみました。麗ギャルズのデータ取りに関するギャランティーはいつ頂戴できるんですか…と。その時の返答は、今でも忘れられないほど衝撃的でした。
「えっ、だって広石くんはお手伝いしてくれるって言ったじゃん!」
思わず絶句しちゃいました。いや、確かにA・チャラ男Jr.編集部員(仮名)からは「暇ならデータ取りのお手伝いをしてくれませんか?」と頼まれただけで、「データ取りの報酬を支払います」という言質はなかったですけどね。
果たして、彼に最初から世間知らずの田舎者を騙そうという意図があったのかどうか…そこらへんは私にもわかりませんが、いずれにせよ体よくタダ働きさせられたようなものです。
なんともひどい話ですけど、これも社会勉強と納得することにしました。それからしばらくして、A・チャラ男Jr.編集部員(仮名)はパチンコ必勝ガイド編集部を退職し、件の麗ギャルズの一件は完全に闇に葬られました。
この時、吉良さん(当時のパチスロ必勝ガイド副編集長)に相談すれば何とかなったかも知れませんけど、管轄外の部署で起きた金銭トラブルに巻き込むのは気が引けましたし、とりあえず私一人が損をしただけだからまぁいいか。
それにしても、日本語って本当に難しいなぁ…というお話でした。