パチスロ「ライターになるきっかけ」をくれたマシン ~2号機名機伝説「スーパーバニーガール」後編~【アニマルかつみの回胴青春時代Vol.28】
自分がパチスロ必勝ガイドのライターになったのは1992年春。東京に拠点を移し、1年ちょっとが経った頃だった。
当時の人気連載企画だった「秋山プロの13時間デスマッチ」へ読者代表として参戦し、その実戦記が編集部に認められたのが、全ての始まりである。
秋山プロとは、たまたま在阪時代に知り合った。プレゼント欲しさに読者ハガキを毎月送っていて、それを読んだ編集部の人から「大阪取材に行くので案内役をやってくれないか」と依頼されたのが出逢ったきっかけだ。
東京へ来てからも、あちこちのホールで幾度となく顔を合わせたりして、なんとなく交流は続いていたのだが、ある日、「デスマッチに読者代表として出ませんか」と誘われ、「はい、喜んで!!」と二つ返事をしたことで参戦が決まった。
軽い気持ちで引き受けたことで、いまがある。人生、どこでどうなるのかわからないものですなぁ。
さて。参戦することは決まったが、どこで何を打とうか。これには、かなり頭を悩ませた。
散々悩んだ挙げ句に選んだのが、当時住んでいた練馬区某駅のアパートから徒歩5分くらいの店にあった、『スーパーバニーガール』。レアな白パネルバージョンだ。
この店を選んだ理由は、何よりも部屋から近いもんで、本番前の下見が楽だから。そして、もうひとつ。裏モノ疑惑があったからである。
この店の白スーバニ、時期的にけっこう遅めに導入されたのだが、その新装初日だったか。18時頃に様子を覗きに行ったところ、15時開店にかかわらずドル箱を6箱も積み上げている台が数台あったのだ。
いまどきの、ぎっしり詰め込んで千枚あるかどうかの小さな上げ底箱ではない。パチンコ玉で4千発は入る「どでかい箱」である。
ノーマルでも荒波だったスーバニ。でも、さすがにこれはおかしい。万が一、そんな「暴れ娘」をツモったら、それはそれは面白いことになる。三日前から入念に下見をして、本番に臨んだ。
結果から言うと、残念ながら当日は「暴れ娘」を見受けることはなかった。が、そこそこ上がり波を掴んで、夕方頃にはもう勝利は確定的な展開になった。
が。宴もたけなわな午後8時頃、13HDM始まって以来の「事件」が発生する。