文句を言えば「怖いパンチお兄さん」が登場… 三店方式の仕組みを悪用した換金の闇【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第17話:渋谷の偽景品交換所】
第17話 渋谷の偽景品交換所
その昔、渋谷区道玄坂下の交差点を左に折れた一角に、ボッタクリの古物商…平たく言うと偽の景品交換所(特殊景品の買い取り所)がありました。この周辺は現在でこそエスパスの一人勝ちみたいな状況になってますが、平成9年頃までは多くのパチンコ店が競合する激戦区でしてね。当時は今と違ってホールごとに特殊景品の種類が異なる時代でしたから、ホールと同じ数だけ景品交換所が点在しており、しかも店舗から結構離れているケースも多かったんです。
当時の特殊景品はバリエーションが多彩でした。ライターの着火石、ボールペン、西陣織の財布、文鎮、香水…等々。
そして、偽の景品交換所に各ホールの特殊景品を持ち込んでしまうと、正規の景品交換所で買い取ってもらう場合の半分以下になっちゃう。しかも、買い取り金額が少ないことに気づいて文句を言うと、恐~いパンチのお兄さんが出てきて威圧される仕組みになっており、騙された打ち手は泣き寝入りするしかなかったんですよ。まぁ、一度でも引っ掛かれば二度と騙されないので、「換金の闇」を知る上で良い社会勉強ではあるんですけど、たまたま大勝ちした際に偽景品交換所に引っかかると、せっかくの高揚感が台無しになっちゃいますよねぇ。
末期には渋谷名物のチーマーを雇って呼び込み、景品交換所へ誘導
当時、この一角で営業していたパチンコ店は6軒。柳小路センター、アサヒ会館、大番、ウチダホール、タイガー(パチンコ専門店)、ファイン(パチスロ専門店)で、現在はいずれも廃業またはエスパスの看板に掛け変わっています。件の偽交換所はこれらのホールが扱う全ての特殊景品を買い取ってましたが、悪名が広まって騙されるプレイヤーが少なくなると、末期には渋谷名物のチーマーを雇って呼び込みをしてました。つまり、特殊景品を抱えてパチンコ店から出てくるファンを見つけたら、「景品交換所はこっちだよ」と呼び止めて、偽交換所に無理やり連れて行くんです。その際、袖を引っ張ったりすることはありますが、特殊景品を奪ったり暴力に訴えることはありません。そんなことをしたら、いきなり警察沙汰になっちゃいますからね。あくまで偽の交換所に連れて行くだけです。
てゆーか、なんでこんな酷い行為がまかり通ったのかと言うと、「パチンコ店と景品交換所は無関係」という建前だったからです。騙される客のみならずパチンコ店としても大迷惑には違いないのだけど、三店方式によって換金が合法化されているため、あそこの交換所は偽物ですよ…とパチンコ店はお客さんに注意できないんです。今でも一見の店で景品交換所の場所を聞くと、カウンターのお姉さんは「私はよく存じませんけど、皆さん右手の出入り口を出て右側に向かって歩かれてるみたいです…」みたいな感じで答えます。そこに持っていけば換金できると教えられないため、苦肉の策でこう答えるように教育されてるんですね、ええ。
ちなみに、東京都では現在、景品交換所が「TUCショップ」に一元化され、どのTUCに持ち込んでも同じ価格で買い取ってくれます(TUCの正式名称は「東京ユニオンサーキュレーション株式会社」といいます)。その昔、景品交換所が暴力団の資金源になっていることを憂いた東京商業流通協同組合の組合長さんが、普遍的な価値を持つ「金」を使用した交換システムを構築したのが発端ですが、多くの犠牲を払って暴力団の介入を徹底的に排除した業界の努力が奏功し、当時とは比較にならないほど安全に景品を買い取ってもらえるようになりました。渋谷にあった偽交換所も、ようするに特殊景品を安く買い叩いて本物の交換所に持ち込んで利ざやを稼ぐ…という、暴力団の非常にセコいシノギだったわけですが、TUCシステム構築の過程において閉鎖されました。
めでたしめでたし。
嗚呼、できることなら今から景品交換をやり直したい!
さて、今回なんでこんな話をしてきたかと言うと、実は私も学生時代に偽の景品交換所に騙されていたからだったりして(涙)。昭和58年からの4年間、私は國學院大学の渋谷キャンパスに通っていたこともあり、道玄坂付近やセンター街のホールでよくパチンコを打っていたんですが、ウチダホール(エリアU)というお店で初めて特殊景品(この店では香水でした)に交換したとき、たまたま前のお客さんについて行った先が、件の偽交換所だったんです。当時、この周辺のパチンコの交換率が2.5円だった中で、なぜだかウチダホールのみ2.2円交換くらいだったんですが、弱冠19歳の私は、偽の交換所に騙されているなど思いもせず、4年間も交換率で損をしてたんですな。いやぁ、今考えると私もウブでした。
でもって、何で騙されてたことに気づいたのかと言うと、偽の景品交換所が問題になっていた平成5年頃に(だったと思います)、パチンコ必勝ガイドに注意喚起の記事が掲載されたから。たしか巻末の目次か何かのページだったと思うんですが、偽交換所の写真に大きく「危険」の文字を被せた記事だったような記憶があります。そして、そこに写っていたのは、忘れもしない私が特殊景品を持ち込んでいた交換所じゃないですか~~~っ!
もうね、自分の間抜けさが本気で嫌になりましたよ。確かに周辺のパチンコ店に比べて交換率が低いのは気になっていたけど、そういうもんだと納得してたんです。嗚呼、できることなら今から景品交換をやり直したい!
ただね、気になったのは偽交換所の2.2円という微妙な交換率。これでは1玉0.3円の利ざやしか稼げないわけで、暴力団の資金源どころか、小遣い銭かそこらの儲けにしかならなかったと思うんですけどね。まぁ、だからこそ私が学生だった頃には偽の交換所だと気づくプレイヤーも少なく、前述した平成5年頃に稼ぎを大きくしようと利ざやを広げたために発覚した…と考えられなくもありません。その証拠に、私が学生の頃には呼び込みのチーマーなんて当然いないし、換金に関するトラブルも特になかったもの。
まぁ、25年以上も前の話なので、どうでもいいっちゃいいんですけど、今でも思い出すたびに腹が立ってくるのです。