「91時間バトル」に挑むも、閑散としたシマで「台叩きババア」に遭遇…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第60話:東陽会館の思い出】

第60話 東陽会館の思い出

 去る11月30日の営業終了をもって、高田馬場の地域密着型パチンコ店として長らく愛されてきた東陽会館(TOYO104 高田馬場店)が閉店しました。

 東陽会館といえば「パチンコ必勝ガイド」のお膝元として有名になったホールであり、私がパチスロライターになった1995年当時は、ふらりと店内を覗けばショッカー(パチンコ編集部のデータ取り精鋭軍団)が実戦している場面によく出くわしました。東陽会館の凄いところは、一見するとどの台も寄りやヘソが渋くて回らなそうな印象なのに、探せば必ずボーダーに届く台が用意されてたことです。おそらくは、優秀な釘師さんが調整されていたんでしょうね。

 当時は開店プロがあちこちの新装を喰い荒らしていた時代であり、人海戦術をもって新台を独占する彼らは常連さんの天敵でした。今の若いパチプロには信じられない話かもしれませんが、当時の新装は日当5万円を超える良釘がゴロゴロ…とまでは言わないけど、それなりに存在してたんですよ。現在のパチンコがせいぜい日当1万5千円~2万円程度なのに比べると、まさに「天国と地獄」ほどの格差です。そんな状況ですから、開店プロも釘読みが難しいホールの新装はターゲットから外す傾向にあり(他店の新装を回った方が楽に勝てるから)、東陽会館は地元の常連さんに寄り添って営業を続けました。そんな老舗が閉店したのは個人的に残念でなりません。まぁ、私も千葉に引っ越して以降は一度も東陽会館で打っていないので、どの口が言ってるんだ…って話ですけどね、ええ。

在りし日の東陽会館。(写真は2023年ストリートビューより)
東陽会館の入口にあったポップ。(写真は2018年3月29日に私・広石が撮影)
上の写真を拡大したもの。外観から見える設置機種が、手打ち式パチンコの立ちシマであることから、少なくとも昭和40年代~50年代初期の写真だと思われる。

 ちなみに、当時の「パチスロ必勝ガイド」では月イチで台割会議が行われ、その日は基本的に全ての編集部員とライターが集合しました。そして、会議の終了後は皆でスロを連れ打ちして飯食って帰る…みたいな流れが出来上がっており、その際にもよく東陽会館にお世話になりました。そして、私が好んで打っていたのが4号機の初代『ハナビ』です。この機種には差枚数カウンターによる小役補正機能が搭載されており、左リールに3連ドン付近が停止している台(通常時に適当打ちしていたと思われる台)を打てば、小役高確率状態に滞在している可能性が高いぶん少しだけ得をしたんです。いやはや、姑息な立ち回りをしてすいませんね。

アルゼ(現・ユニバーサル)の4号機『ハナビ』。ビッグ&REGの両ボーナスのみで出玉を増やすオーソドックスなAタイプ機だが、通常時の「DDT打法(小役目押し)」およびビッグ中の「リプレイハズシ攻略法」を完璧にこなせば、たとえ設定1でも期待収支がプラスになると言われている。配列上、引き込み100%の小役はリプレイのみだが、差枚数カウンターによる小役補正機能を搭載しているため、小役還元率が各設定の設計値を下回ると、内部的に小役高確率状態に移行してコイン持ちが上昇する。(写真は「パチスロ大図鑑1964~2000/ガイドワークス刊」より)

 もちろん、必ずしも小役高確率状態とは限りませんし、夜7時過ぎの空き台に高設定が潜んでいるわけがありませんが、そこはやはり基本スペックが甘い初代ハナビ。皆で晩飯を食べに行くまでの時間潰しのスロに最適であり、運良くビッグを固めて引いたりした場合には酒代が出ることもありました。当時は東陽会館で勝ったり負けたりしてたけど、トータルで見ればチョイ負けくらいに収まってると思います。いや、昔の収支帳を引っ張り出して計算すれば正確な収支がわかるけど、今さらそんなことをするのは野暮なので、とりあえず東陽会館における個人収支は「チョイ負け」ということにしときます。

 さて、前振りが長くなりましたが、今回は東陽会館にまつわる個人的な思い出を紹介しましょう。以下本編。

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 時は平成15年(2003年)の4月。ガイド本誌の読者アンケートで常に人気連載の上位に君臨する「91時間バトル」の対戦機種に、山佐の『海一番R』が選ばれたことから今回のエピソードは始まります。

山佐の『海一番R』は、複数のモードで連チャンとハマリを演出するA400タイプのボーナスストック機である。基本的なゲーム進行はパチンコの「CR海物語」を再現しており、メインリールの右横にある液晶画面で図柄が揃うと大当りとなる。すなわち、奇数図柄なら確変大当り(ビッグ+36G以内に必ず連チャン)が確定し、偶数図柄の場合は通常大当りとなる(8図柄のみREGの可能性あり)。お年寄りが遊技するのを想定して、通常時に取りこぼしが発生するのは1枚役のチェリーのみ、リプレイハズシは「逆押しオート」というパチスロ初心者にも優しい仕様だった。(写真は「パチスロ大図鑑2001~2007/ガイドワークス刊」より)

 海一番は元になった機種(CR海物語)の知名度の高さゆえ、多くのホールに導入されたんですけどね。困ったことに、扱いが非常に難しい機種だったんですよ。どういうことかと言うと、海を打つお年寄りの多くは「奇数図柄が揃えば確変に突入する」程度の知識しか持っておらず、当然のことながらストックシステムに関する知識は浅い。その結果、天井に近い台を簡単に捨てたり、ビッグをオール順押しで消化して枚数的に損をする人が続出したんです。そして、最終的に海一番のシマはハイエナ天国と化し、ホール側も低設定メインで営業するようになりました。

 結局、どこで打っても同じなら編集部に近い方が楽だ…という合理的な判断により、バトルの対戦ホールは当時のガイド編集部に最も近い「東陽会館」で行うことになりました。ここなら確かに一見の店で実戦するほどアウェイ感はないし、仮に想定外のアクシデントが発生しても編集部に近いから即座に対応できます。

 そして、バトル当日(私の担当は3日目)。前日バトラーの無道くんから「1000Gハマリで閉店を迎えた台があるから、最初はその台を当たるまで打って、そこから先は臨機応変にハイエナ作戦で立ち回るように」…という引き継ぎを受け、朝イチに海一番のシマにダッシュしたんですけどね。あろうことか、ガラガラのシマに唯一の先客が居て、しかも無道くんのオススメ台に座ってるのよ。

 なるほどね。こんな居心地の良い店にもプロは居るってか? だとしたら、ハマリ台を渡り歩く作戦も通用しない可能性が高い。というか、私はハイエナ攻略があまり好きじゃないのよ。ハイエナは対・ストック機における正攻法の立ち回りと無道くんは言うけれど、私は1台に腰を落ち着けて打ちたいのよね。

 そんなわけで、前日に最もビッグ回数の多かった台の据え置きを狙って勝負を開始。もちろん据え置き狙いは気休め…というか、そもそも高設定台があるならもっと多くのプレイヤーで賑わっていると思うから、据え置き狙いはこの台を打つためのアリバイ作りにすぎません。そう、91時間バトルでは行動の理由を説明できなきゃダメなのよ。

 結果は下の実戦データをご覧ください。

■総プレイ数:7397G
■BIG:29回(1/255.1)
■REG:4回(1/1849.3)
■投資:29000円
■獲得枚数:1129枚
■換金:22500円
■収支:マイナス6500円

 設定1を下回る確率でしかビッグを引けず(ただしREG 出現率は設定6をオーバー)、確変突入率も2分の1に満たなければ敗北もやむなしですね。

 ただ、夕方過ぎに自分の右隣に座った老婦人には少々辟易しました。リーチがかかると台をドスン。液晶にサメが揃うと「走れ!」とばかりにもう一発ドスン。

 私が敬愛する故・田山幸憲プロが、著書の「パチプロ日記」で台を叩くご婦人を「台叩きババア」と罵ったのは有名な話ですが、田山さんほどの人格者がそう書いた気持ちが少しだけ理解できました。パチだろうがスロだろうが、絶対に遊技台を叩いちゃいけません!

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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