パチンコ「昭和から平成~デジパチ図柄表示装置の進化と多様化について」【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.017】
アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.017
今回は私的な思い出話はお休みして、パチンコのハードウェアに関するお話を綴ってみたいと思う。
特定の図柄が揃うと大当りとなり、一気に大量の出玉を獲得できる──そんな、スロットマシンのようなゲーム性をパチンコに持ち込んだのが、いわゆる「セブン機」や「デジパチ」とよばれる、かつては「第一種」に区分されたジャンルの遊技機である。
誕生は1980(昭和55)年。当時のパチンコ業界は、1978年に登場し社会現象的なブームとなっていた「インベーダー」を筆頭とするビデオゲーム勢に客を奪われ、深刻な状況に陥っていたのだが、従来のパチンコの常識を根底から覆すゲーム性と出玉性能をもったデジパチの登場が窮地を救った。
そんなデジパチの命ともいえる「図柄表示装置」の進化と多様化について、昭和の終盤から平成の初頭にかけての時代にスポットをあてて振り返ってみようというのが、今回の趣旨である。
■デジパチ表示装置の進化と多様化 その① ドラム
史上初のデジパチとして登場した三共(現SANKYO)の『フィーバー』は、先述のとおりスロットマシンのゲーム性をパチンコに持ち込んだもの。図柄表示装置にはスロットマシンのリールを模した「ドラム」が用いられ、ドラム式フィーパー機は以後、長年にわたって同社の代名詞として広く認知されることとなる。
ドラム式フィーバー機に最初の革命が起きたのは、激動の昭和が終わり平成の世が幕を開けた1989年。のちに「朝イチ単発回し連チャン促進打法」で大ブームを巻き起こすことになる「フィーバーレクサス」シリーズだ。
詳しくはリンク先に記しているが、パチスロ機でお馴染みの「ステッピングモーター」を採用することで自在なドラムコントロールが可能となり、リーチ目演出など表現のバリエーションが一気に拡がった。
■デジパチ表示装置の進化と多様化 その② 7セグデジタル
社会現象的な大ブームを巻き起こした三共の『フィーバー』に対抗するかたちで、他メーカーからも続々とデジパチが登場した1980年代初頭。三共以外の競合他メーカーが表示装置に用いていたのが、様々な電子機器で用いられていた汎用部品である「7セグデジタル」だ。
同じ頃、表示形態についても多様化が進み、ニューギンからは2色の3桁デジタルを縦と横の十字型にクロス配置した『ニューヤンキーⅢ』や、『ニュースノーバーズⅣ』のようなデジタルが4桁のもの、さらにはデジタルを1桁・2桁・3桁の扇形に配置した『エキサイト123』など、様々なバリエーションが登場して話題を呼んだ。
■デジパチ表示装置の進化と多様化 その③ ドットマトリクス
フルカラー液晶が登場する以前、ドラム、7セグと並んでデジパチの図柄表示装置の定番だったのが、小さなLEDのツブツブで様々な表示を行う「ドットマトリクス」である。
数字や文字が上から下へ「すーっ」と流れるように表示される「デジスロ」と称する本作のドットアクションは、アナログなドラムや古い電卓のような単色7セグに慣れ親しんだ当時の打ち手に大変な衝撃を与え、たちまち大ヒットとなった。
■デジパチ表示装置の進化と多様化 その④ 液晶ディスプレイ
現在、デジパチの図柄表示装置の定番となっている液晶ディスプレイ。そのルーツともいえるのが、1989年に平和がリリースした『ブラボーエクシード』である。
シンプルな単色の固定セグメント表示だったが、ブルーのバックライトに透明感のある図柄が浮かんで見える様子はどこか近未来的で、かつ息を呑むほどに美しかった。
この『麻雀物語』のヒットを契機に、デジパチは一気にフルカラー液晶搭載の方向に舵を取り、めまぐるしいまでの進化を繰り返し現在に至ることとなる。
平和の「多層発光版」に「サイコロ型ランプ」、ニューギンの「カラー蛍光管」や「ベルト型リール」、そして西陣の「円盤」──。定番とはならかったものの、いずれのアイテムも「単調な図柄合わせのゲームを、いかに楽しく演出するか」を追求し続けた当時のメーカー技術者の熱意とこだわりが感じられる。
しかし、大当りした時の衝撃と喜びと感動の度合いは、シンプルな作りの中にもそれぞれに創意工夫が込められていた昔のデジパチの方が、はるかに大きかった…と遠い目をしてしまうのは、やはり年寄りの悪い癖なんだろうか。