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「こんなに出す店は他にないじゃろ!」に納得…流した枚数「1万663枚」の完勝!!【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第34話:人生初の万枚オーバー】

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第34話 人生初の万枚オーバー

 以前、「人生初の10万勝ち」というコラムを書きましたが、今回はもう一歩進めて「人生初の万枚オーバー」のエピソードについて紹介しましょう。

 スロッターにとって「万枚オーバー」は勲章です。スマスロ時代を迎えた現在でこそ、万枚の価値がややダウンして、「コンプリート発動(出玉で1万9千枚)」をプレイ中の目標に掲げる人が多くなったみたいですけど、そもそも昔の機種(3号機以前)は万枚を狙えるほどの超絶スペックじゃなかったため、発生頻度からいけば「スマスロでコンプリート機能を発動させる」のと同じくらいハードルが高かったように思います。

 もちろん、当時は…とりわけ3号機時代は、世の中に「裏モノ」と呼ばれる違法改造機が蔓延しており、プレイヤーは好むと好まざるとにかかわらずハイリスク&ハイリターンの勝負を余儀なくされていたのですが、それでも滅多なことで万枚は超えません。

 実際、私自身も3号機時代までに万枚を突破したのは、たった一度しかありませんでした。そう、当時のパチスロは勝っても負けても数万円がいいところ。何かの間違いで5千枚も出せば「シマスター」として語り継がれるような時代です。それゆえ、万枚が現実的に手が届く位置に降りてきたのは、遥か後年の4号機時代・中期になってからでした。以下、回想。

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 時は平成4年(1992年)の2月16日。この日、私は大分県別府市のB店でニイガタ電子精機の『リノ』を打っていました。当時、B店には純正ノーマル機(初代アラジン・コンチネンタルⅢ、スーパーウィンクルなど)と連チャン機(リノ・キューティーフルーツS・グレートハンターなど)が表裏混在で設置されてたんですが、誰もそれを不思議に思わず、当たり前のように裏モノの存在を受け入れてました。

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ニイガタ電子精機の3-1号機『リノ』。本機にはさまざまなバージョンが存在したが、最もメジャーな裏モノは「小役落ち連チャンver.」だった。ビッグ終了後の4G以内に小役が揃うと(正確には小役が揃ってヒットゾーンを直撃すると)、次ゲームのコインを投入した瞬間にビッグフラグが成立する。後に、ビッグ中に1&2枚掛けを併用して小役の総払い出し枚数を調節し、ヒットゾーンを1G延長させる「電撃マンボ連チャン促進打法」が発覚。その他にも、カミカゼセット打法・ムチ打ちセット打法・永久コイン抜き攻略・音無しレギュラー打法など、さまざまな攻略法が立て続けに発覚し、その度に注射(RAM領域に違法プログラムを書き込む)による対策が行われた。このイタチごっこはリノが平成4年末に「検定取り消し処分」を受けるまで続いたのだ。(写真は「パチスロ大図鑑2001/ガイドワークス刊」より)

 実を言うと、打ち始める前から大勝ちの予感はあったんですよ。…と言うのも、前日の仕事帰り(土曜日の夜)に下見でB店に立ち寄ったとき、普段はあまりパチスロのシマに顔を見せない白髪頭の店長さんが、客付きまばらなリノのシマを指差しつつ、主任となにやら話し込んでました。

 話の内容はもちろん聞こえませんけど、身振りや表情から察するに主任を叱責しているような雰囲気です。最近はリノの出玉状況が悪くて客が飛び気味だし、もしかして明日はリノのシマに高設定を多投して盛り上げるよう指示したのかも?

 それで今日、一目散にリノの狙い台(設定上げ狙い)を確保したところ、周囲の何台かにモーニングが仕込まれていました。B店はモーニングからの想定外の爆発を恐れて、裏モノには基本的にモーニングを仕込まない店でしたから、これだけでも本気で出そうとしているように感じます。

「こんなに出す店は他にないじゃろ!」と…

 そして、残念ながら自分の台には入ってなかったけど、総投資13Kで引いたビッグで食い付いて、そこからはひたすら右肩上がりの出玉曲線を描きます。この店のリノは最もメジャーな「小役落ち連チャンver.」だったんですが、連チャンを抜けてもビッグ2回分くらいの打ち込みで、再びビッグを引いて連チャンする…の繰り返し。こんなにハマらないリノを打ったのは初めての経験です。

 結局、最後の連チャンを抜けたのが夜の10時半。リノのシマは「お祭り状態」と呼べるほど全体的に出てましたが、たぶん自分の台がトップだったんじゃないかな?

「こんなに出す店は別府中を探しても他にないじゃろ!」

 振り返ると、例の白髪頭の店長さんが、周囲の常連客に声高々にアピールしてます。ギャラリーが集まったタイミングで言い放つとは、さすが商売人だなぁ…と感心しました。最終的にトータルビッグ回数は69回で、流した枚数は1万663枚。総投資が13Kで7枚交換につき、差し引き13万9千3百円のプラスで「人生初の万枚オーバー」を達成したんです。

 おそらく、万枚オーバーはこれが最初で最後だろうと思いました。だって、それくらい万枚の壁は高かったんですから。

 しかし、4号機時代の中期以降に大量獲得タイプや爆裂AT機、ボーナスストック機などが登場すると、万枚の壁が低くなって、どこかのホールで誰かが万枚を達成する日常となりました。

 さらに、5号機時代に高射幸性機が登場して以降は、ゴッド凱旋やハーデスのお陰で、万枚がいっそう身近になったのは皆さんもご存知の通りです。まぁ、私はゴッド系が苦手なので、足掛け42年のパチスロ人生で計9回しか万枚オーバー(差枚数)を達成してませんけどね。

 その後、6号機時代になって機種の爆発力が大幅に削がれると、万枚オーバーは遥か遠い存在になりました。これで万枚オーバーの文化も終わりか? そう思ったんですけど、今やスマスロのお陰で再び万枚が手の届く位置まで降りてきたように感じます。正直、これでいいのか…って気がしないでもありませんが、少なくともパチスロ業界が元気になったのは紛れもない事実です。

 そんなわけで、私も「人生で10回目の万枚オーバー」を達成できるよう期待しつつ、今回のコラムはお開きにさせていただきます。

ドラゴン広石

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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