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大好きなスロガイ編集部の末席に身を置けたこと、そしてガイドライターとして文章を書けることを誇りに思う…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第63話】

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第63話 はじめてのデータ取り

 かつて、ライター志望者がパチスロ必勝ガイドのスタッフに採用された後、最初に頂戴する仕事は例外なくデータ取りでした。通常時およびビッグ中における打ち方別の小役出現率など、必要なサンプルをしっかりと採取できれば担当編集から信頼され、キャリアを積むことで機種物のライティングを任される流れがいわゆる「ライターの出世コース」という認識です。他誌のライターさんの場合はどうだか知りませんが、少なくともガイド出身の有名な演者さんは例外なく、データ取りからライターへの道を歩みました。

 ただ、私の場合はちょっと変わってましてね。通常はガイド編集部が誌面にライター募集の記事を掲載し、履歴書と作文による書類選考を経た上で面接…となるのですが、私はいきなり上京してガイド編集部を訪ねちゃったもので、志望者をふるいにかけるプロセスをすっ飛ばして面接に漕ぎ着けちゃったんです。まぁ、実際にはパチンコ必勝ガイドのライターに応募して、紆余曲折の末にパチスロ必勝ガイド編集部を紹介されたんですけど、そこら辺の話は置いておいて、面接官として私に対応してくれたのが吉良副編集長(現在はガイドワークス編集局長)、シモデッチ下出さん(ベテラン編集部員)、グレハニスト内池さん(当時はまだ新人編集部員)の3名でした。

 今になって考えると、礼儀を知らない田舎者によくぞ会ってくれたものですが、無下に追い返すのは可哀想だと思ったのか、それとも使える男かどうか試そうとしたのか…面接の場でシモデッチ編集部員からデータ取りに誘われたんですよ。

「週明けに僕が担当している新機種のデータ取りがあるんですけど、時間を取れるならご一緒しませんか?」

 もちろん私は同行を願い出ました。だって、プロの実戦人がどんな感じでデータを採取しているのか凄く興味があったんですもの。

 後になって知ったことですが、実はデータ取りへの誘いは私に対する「採用試験」だったらしいです。というわけで…以下、本編。

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 時は平成7年(1995年)の9月25日。私は実戦当日の朝、高田馬場駅で下出さんと待ち合わせて、西武新宿線で新井薬師にある実戦ホールへと向かいました。この日の実戦人は下出さんの他に、ショッカー4人衆(隊長のコホさん、リトルさん、カッパ君さん、木村魚拓Vさん)、それに飛び入り参加した私・広石の計6名です。実戦機種はパル工業の新機種『パワーボム』。モーニングが入っている店につき朝イチに台を取れたのは下出さんだけでしたが、モーニング争奪戦が終わるとチラホラと空き台ができたため、みんなバラバラに散って実戦を始めました。それで私も空き台を探そうとキョロキョロしていると、下出さんがこっちですよと手招きしています。どうやら、下出さんの左隣が空いたみたいです。

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パル工業の4号機『パワーボム』。バンバンバージョンと呼ばれる裏モノが猛威を振るった数珠つなぎ連チャン機で、いわゆる「状態」に突入するとスタートレバーのハーネスに仕込まれた専用パーツが大当り乱数を狙い撃ちしていた。本機はメーカーが裏モノ化に関与した純正イリーガルマシンであり、その発覚後は同仕様の兄弟機と共に検定取り消し処分を受け、後にパル工業自身も会社の存続を断念&解散に追い込まれた。(写真は「パチスロ大図鑑1964~2000/ガイドワークス刊」より)

 なるほどね。データ取りの経験がない素人に全てを任せるのは不安なんだろうな…と納得したんですけど、しばらくして私が初ビッグを引いた途端に下出さんのプレイ速度が急にダウンしました。それと同時に横目の熱い視線を感じます。もしかすると、下出さんは私の目押しがどの程度のレベルなのか見極めようとしてるんじゃね?

 そう気づいた瞬間に身体がガチガチになり、普段は絶対にミスらない2コマのリプレイハズシを失敗。その瞬間、下出さんの背中がピクっと動いたように見えたんですが、彼は特に何も言いませんでした。

 さてどうしよう? 少しでも興味を引こうと、面接の場で「半コマ目押しができます」とハッタリをカマしたことも、リプレイハズシを豪快にミスった今では完全に裏目に出ちゃいました。これが原因で不採用になったら失意の内に故郷に帰るしかない。嗚呼、このまま時が止まってしまえばいいのに。

 …な~んてコトを考えるほど私の心は弱くない。いや、過去のコラムや拙著「枠上人生」ではそう書いたかも知れないけれど、実のところ目押しミスした瞬間から私は次の行動を考えていました。今だから正直に言いますが、私は別にガイドにこだわっていたわけじゃないのよね。一番好きな雑誌だから最初に訪ねたのは事実だけど、もしも不採用だったら次は同じ高田馬場にあるマルカツ編集部に、その次はパチスロファン編集部に、そのまた次は飯田橋のスロマガ編集部を訪ねるつもりでした(ちなみに、パチスロ必勝本はまだ創刊されていません)。

 そんな「心ここにあらず」の精神状態で勝てるほどパチスロは甘くないわけで、エゲツない特大ハマリの連発と相まって夜には総投資金額が5万円を突破。現在のスマスロに比べれば全然大したことない投資額ですが、当時は裏モノでもここまで投資が膨らむことは稀だったんです。それでも、隣で打つ下出さんに動揺を悟られるのが嫌で、無理やり涼しい顔をして追加投資を続けました。

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これが当日の実戦データ。左から投資金額、ボーナス役、当該ボーナスを引き当てるまでの間に成立した小役…の順に表記している。

 結果はご覧の通り。果たして、膨大な投資にも動じない態度(本当はやけくそ)が評価されたのかどうか…幸運なことに、翌日に吉良さんから私をライターとして採用する旨の連絡がありました。なるほど、捨てる神あれば拾う神もあるってわけだね。

 それにしても、あのとき不採用だったらと思うとぞっとします。仮に次に訪ねたマルカツかスロファンにもぐり込めたとしても、両誌とも数年で廃刊となりました。また、スロマガは頻繁にお家騒動が起きることが有名な編集部で、それが原因かどうか私には確認のしようもありませんが、2020年にパチンコとパチスロの編集部が統合され、2021年1月には紙の媒体から完全に撤退しました(現在はWEB版のみ)。

 ようするに、私が生きる道はパチスロ必勝ガイドしかなかったんですよね。そういう意味で吉良さんと下出さんは私の恩人なのです。私は大好きなパチスロ必勝ガイド編集部の末席に身を置けたこと、そしてガイドライターとして文章を書けることを誇りに思います。

ドラゴン広石

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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