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自分の書いた記事に「喧嘩を売られた」のはショックだったが…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第71話:必勝ガイドとマガジンのバチバチ~後編】

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第71話 必勝ガイドとマガジンのバチバチ~後編

※注・第70話および第71話はもともと1本のコラムとして書き上げたのですが、ボリュームが5千文字を超えてしまったため、「webコラムとしては長尺すぎる」と判断して区切りの良い部分で二分割しました。まずは前編の第70話から先に読んで頂ければ幸いです。

 以下、前編よりつづく。
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 その後も、ガイドの看板ライターである「マッパチ(アニマルかつみ&ガル憎が結成したコンビ。正式名称は THE MAD PACHI-SLOT BROTHER’S)」をもじって、「マッハチ」なるユニットを誌面に登場させて本家マッパチを茶化したり、文章の端々でガイドを暗にバカにしたり…。実際、噛み付いてくるのはいつもスロマガで、ガイドから喧嘩を仕掛けることはなかったように思います(パチンコ編集部についてはよく知りません)。

 でもまぁ、私も一応はガイドスタッフですから、スロマガの記事を苦々しく感じていましたが、どこか他人事のように冷めた目で見ていたのは否定できません。だって、私もガイドに入る前はスロマガの読者であり、カバン一つを抱えてガイド編集部の門を叩いたとき、もしも吉良さんが拾ってくれなかったら次にスロマガを訪ねていたかも知れないんだもの。最初にガイドを訪ねたのは一番好きなパチスロ雑誌だったからであり、別にスロマガが嫌いなわけじゃありませんから。

 だけど、そんな私にも火の粉が降りかかってきました。

 あれは忘れもしない97年12月号。当時、私は「タコスロ」の担当ライターだったんですが、リーチ目を紹介する記事で以下のような解説文を書いたんです。

《タコスロにはボーナスフラグ成立プレイの概念があり、これがリーチ目の難解さに一層の拍車を掛けている。》(注・原文は長いので一部修正しています)

 別に内容が間違っているわけじゃありません。ごくごく普通の記事です。当時のユニバ系機種は1フラグに対して複数の停止テーブルが用意されており、両ボーナス成立ゲーム専用のテーブルもありました。

 タコスロは極めて特殊な制御(フラグ成立したボーナス絵柄が停止ボタン押下から4コマ以内にあれば無条件で枠内に引き込み、なければスベリコマ数を選択する)であり、それを説明する目的で書いた導入文章だったんですけどね。

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瑞穂製作所の名機『タコスロ』。ユニバーサル販売の「クランキーコンドル」と並んで初期の技術介入機の頂点に君臨したマシンで、DDT打法&リプレイハズシを完璧にこなせばたとえ設定1でも機械割が100%を超えた。(写真は「パチスロ大図鑑1964~2000/ガイドワークス刊」より)

 ある日、編集部に行ったら、担当編集のH&大津くんにこう言われました。

「今日発売のスロマガを見ましたか? タコスロの記事に喧嘩を売られてますよ」

 えっ? と思いました。

 当該号のスロマガが手元にないので正確な表現ではありませんが、要約すると「前号のスロマガでタコスロにはボーナス成立プレイの概念はないと書いたが間違いだった。それをご丁寧にもG誌が訂正してくれた。スロマガの記事の後追いをいつもご苦労さん。今後もG誌は我々の後追いと補足に頑張ってください」みたいな内容の文が、皮肉と嫌味たっぷりに綴られていたんです。

 正直、なんのことだかわかりませんでした。すると、大津くんが前号のスロマガの記事を見せてくれました。そこには「タコスロにはボーナスフラグ成立プレイの概念はない」と書かれてたんです。

 ああ、なるほどね。たまたま表記の文言が被ったために、当該記事を書いたスロマガの担当者さんが気を悪くしたんだ。ただ、あらためて言わせてもらうと、ボーナスフラグ成立ゲーム云々の表現が被ったのは本当に偶然なのよね。実際、当該号のスロマガ発売日にはすでに私は記事を脱稿していたし、ライバル誌の粗探しをするなんて趣味じゃありませんから。

 それでも、自分の書いた記事に喧嘩を売られたのはやっぱりショックでした。もちろん、ガイドの機種物は基本的に全てが無記名原稿ですから、相手も私だとわかった上で喧嘩を売ってきたわけじゃないと思います。

 だけど、私が自信を持って書いた記事に難癖をつけられて、思わずスロマガ編集部に抗議の電話をしそうになりましたよ。その時は、吉良さんに「この記事を書いた人は読者に向けて書いてるんじゃなく、己の感情に任せて書いてるんだから相手にするだけ損ですよ」とたしなめられ、危ういところで暴走モード突入は回避できました。

 そして、他にもいろいろと両誌の対立はあったんですけどね。私が唯一、スロマガに完全敗北したと感じたのが「設定判別攻略打法」でした。

 当時の4号機には小役補正機能が搭載されている機種が多く、小役還元率が設定ごとに微妙に異なったことから、特定のポイントゲームにおける小役出現率をチェックすれば設定判別が可能でした。

 これは現在のような「設定推測」ではなく、試行回数を重ねれば超高確率で台の設定を看破できる、極めて信頼度の高い「設定判別」です。当初は両誌とも「ビッグ終了後から小役を意図的に揃えたりハズしたりしながら小役還元率の異なる状況を作り出し、そこでの小役出現率をもとに台の設定を判別する」という流れでした。

 その際には「チェックシート」という専用の用紙を準備するんですが、あまりにも目立つのと、途中でバケを引いてしまったら1からやり直しになるのが最大の難点でした。それを、スロマガの頭の良い人が改良して、新設定判別手順を完成させたんです。

 説明すると長くなるので具体的な手順は端折りますが、ビッグ後にクレジットを落として所定の枚数になるまで投入し、以後は特定枚数を手に持ち、手入れX枚+クレジットで消化→手入れY枚+クレジットで消化を繰り返し(手持ちの特定枚数が尽きたら、再び同じ枚数だけ手に持つ)、クレジットのデジタルが特定の数字を表示した次ゲームが判別プレイ…という例のアレです。

 当時のスロプロはほぼ確実にスロマガの新設定判別手順を実践していました。かく言う私も、データ取りの仕事(誌面企画や91時間バトルの実戦)で設定判別を行う際にはガイド手順を使いましたが、前述したようにこの手順は目立つし判別プレイを得にくいため、プライベートでは専らスロマガ手順を使っていました。それくらいスロマガの新手順は完成度が高かったんです。

 プライドでお腹は膨れませんからね、ええ。

 あれからすでに25年以上が経過。いつしか両誌の関係は非常に穏やかになり、ライター同士で広く交流するようにもなりました。おそらく、紙の媒体の衰退によって発行部数や売り上げを競う状況じゃなくなったのと、バチバチやっていた時代を知るスタッフが少なくなったからでしょう。

 だけど一つだけ言えるのは、私がパチスロ必勝ガイドでライターをやってこられたのは、ライバル誌であるスロマガが存在したからこそ。すでにスロマガは紙の雑誌から完全撤退してWEBに移行してますが、今でも互いにバチバチやっていた頃を思い出して、少しだけ感傷に耽ることもあるのです。

ドラゴン広石

ドラゴン広石

ドラゴン広石(昭和38年12月生まれ)
平成7年に白夜書房「パチンコ必勝ガイド」編集部の門を叩き、パチスロの知識と経験、目押し力を買われて「パチスロ必勝ガイド」のライターに採用された。リアルタイムで「パチスロ0号機」を遊技した経験を持つ、唯一のパチスロライターである。令和4年現在でライター歴は27年。代表作に「枠上人生」、「浮草家計簿」(連載中)、「回胴絶景」(連載中)など。1日の最大勝ち額~プラス41万3千円(クラブロデオT)、1日の最大負け額~マイナス12万9千円(初代・北斗の拳)。

Twitter:@dragon_hiroishi

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