私の人生を「大きく変えた」友人の話…【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第49話:はじめてのパチンコ】
第49話 はじめてのパチンコ
ガイド読者さんの中にはご存知の方もおられると思いますが、アニかつさん(アニマルかつみさん)とタケちゃん(中武一日二膳さん)、それに私こと広石にはパチスロとの馴れ初めにちょっとした共通点がありましてね。
それは、両替機と間違えてメダル貸し機に千円札を挿入してしまい、ザラザラザラ~と出てきた50枚のコインを見て思わず天を仰ぎつつ、仕方なく初打ちしたパチスロで大当りを引き、そこからパチスロの世界に足を踏み入れて現在に至った…ってことです。
当時はまだ台間サンドなんていう便利な周辺機器はなく、コインを借りる際にはシマの端に設置されたメダル貸し機まで往復する時代でしたから(店によってはカウンターで筒売りしているケースもアリ)、両替機と外見が似ているメダル貸し機にパチンコ客が間違えて千円札を入れるのも無理はありませんでした。
その後、便利な台間サンドが普及したことにより不幸な事故はなくなりましたが、後から考えると昭和末期から平成初期のプレイヤーがパチスロを覚える際の鉄板パターンだったような気もします。おそらく、全国的に見ればかなりの数のプレイヤーが自分たちと同じ流れでパチスロを始めたんじゃないでしょうかね?
さて、私の「はじめてのパチスロ」は当コラムの最初期(第2話)に紹介しましたが、まだパチンコとの出会いに関しては書いていないことに気づきました。そこで今回は「はじめてのパチンコ」のエピソードを紹介しようと思います。
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時は昭和57年の4月、私は広島市安佐南区の安アパートに住む大学生でした。同じ大学には高校時代からの友人が3人いたのですが、その内の一人が後に私の人生を大きく変えることになります。
彼の名は本田くん。高校時代は趣味(オーディオ)が共通していたので日頃から仲良くしており、互いに「気が置けない友人」って間柄でした。本田くんは高校時代に非常に成績が良くて、社交的で真面目な好青年。対する私は成績が中の下で、人付き合いが下手なアニオタ。成績も性格も対極にいる二人が友人関係でいたのは、今から考えると不思議でなりませんが、その真面目な本田くんが大学に進学して親元を離れた途端に性格が変わっちゃったんですよね。
いや、性格が変わったというよりむしろ、親という重石がはずれて本性が出た…というのが正解かもしれませんが、彼は一歩ずつ着実に大人の階段を上っていきます。早い話が、「飲む・打つ・買う」ですね。そして、あるとき私は「打つ」に誘われたんです。それがパチンコと呼ばれる小博打でした。
当時、私は月3万円の仕送りで生活する貧乏学生でしたから(アパートの家賃が1万4千円、残りの1万6千円が生活費)、パチンコなんてとんでもない…と断ったんですが、本田くんは大勝ちした自慢話で世間知らずの私を誘惑してくる。
こないだはニューマンモスの「ギャラクシーダイバー」で6千円勝ったとか、その次の日に7千円負けた後に一発逆転を狙って打った「ブラボースペシャル」が当たって3千円勝ちになったとか…。
まぁ、こんな誘惑にコロっと落とされるとは私もウブだったものですが、それほど面白い遊びなら後学のために是非とも経験しておかなくちゃ…って、そんな理論武装で自分を納得させて、本田くんにホイホイついていったわけですよ。
連れて行かれたのは、下祇園駅から少し離れたロケーションに位置する「ロータリー」というパチンコ店でした。本田くん曰く、この店に設置されてる『ボクシング』という台が非常に面白く、最近は大学の帰りに打つのが日課になっているとのこと。でもって、とりあえず社会勉強のつもりだからなんでもいいやと、本田くんの隣に座って見よう見まねで打ち始めたんですけどね。いやぁ、これは確かに面白いや。
でまぁ、結果的にこの日はチョイ負けで勝負を終えたんですけどね。パチンコの面白さに開眼した私は、本田くんに感謝して晩ご飯をご馳走しました。いや、近くの喫茶店でナポリタン(4百円)を奢っただけなので「ご馳走」と呼ぶには些か語弊もあるんですけど、私にとって当時の4百円は今の4千円くらいの価値があったから、そこら辺は深く突っ込まないで頂けるとありがたいです。
そして、翌日から私とパチンコの長い戦いが始まりました。まさかその戦いが40年以上も続くとは思いもしませんでしたが、その過程において私はパチンコ必勝ガイド編集部を訪ね、縁あってパチスロ必勝ガイドのライターに採用されて現在に至ります。いやはや、親元を離れた時はパチンコの「パ」の次も知らなかったのに、人生って何が起こるかわからないものですね、ええ。
ちなみに、私の人生を大きく変えた本田くんは、あるとき大負けしたか何かで「俺は二度とパチンコを打たない宣言」をしました。まぁそれも良し。パチンコもパチスロも全ては自己責任の遊技ですからね。それに、結果的に私は天職とも呼べる職業に就いて三十年近く喰わせて貰っているので、本田くんに感謝こそすれ文句はありません。
その後、本田くんは大学を卒業してから単身アメリカに渡り、事業で大成功を収めて故郷に錦を飾ったそうです。いや、風の便りに聞いただけなので、何の事業に成功したのか詳細は知らないし、そもそも40年以上も会っていないんですけどね。
本田くん、もしもこのコラムを読んでいたなら、いつか会って昔のように酒を飲もうよ!
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