【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第100話:私がパチスロ必勝ガイドに入るまで~前編】
第100話 私がパチスロ必勝ガイドに入るまで~前編
私ことドラゴン広石が、パチンコ必勝ガイド編集部の門を叩いたのは、今を遡ること29年前…平成7年(1995年)9月21日のことでした。当時、ガイド系の攻略情報誌は全て白夜書房が編集・発行を行っており(平成24年3月にガイドワークスへ移籍)、パチスロライターを志していた私は意を決して編集部を訪ねることにしたんです。
この頃、私は大分県でパチプロもどきの生活を行っていたんですが、それがお堅い公務員である父の知るところとなりましてね。もの凄く怒られたのは当然として、お前がしでかしたことは全て許してやるから、実家に帰って農業を継げと…そう諭されたときは、あまりにも情けなくて涙が出そうになりました。だけど、そのまま実家に帰ったら二度と立ち直れないような気がしたんです。
それで、父に一ヶ月だけ猶予をもらって上京しました。もともと私はライターになるのが夢だったし、やるだけやってダメなら納得もいきます。今まで先延ばしにしてきたのは、その日暮らしのパチプー生活がすげぇ心地よかったからです。父にバレずにいたらずっとパチ&スロを打ちながら生活してたでしょうから、ある意味で親バレは私が前に進むきっかけを与えてくれたんですよね。
そして、私は東京行きの夜行列車に乗って、豊島区高田の白夜書房ビルを訪ねました。もちろん、当日の朝にガイド編集部に電話して要件を伝えました。パチンコ必勝ガイド誌に掲載されていた「ライター募集」の広告を見てお電話したのですが、担当者さんに取り次いで頂けますでしょうか…と。
いや、実を言うと入りたいのはパチスロ必勝ガイド編集部でしたが、ライター募集広告はパチンコ必勝ガイドにしか掲載されてなかったんですよね。それでも、ライターとして採用されたらなんとかなる。能天気にも私はそう考えました。
すると、担当者はまだ出社してないので(電話をしたのは午前10時頃です)、午後3時くらいになったらもう一度電話をくださいとの返事でした。この頃の私は、編集部も一般的な就業時間だろうと勘違いしていましたが、実際には昼過ぎに出社して仕事が終わったら帰る…という、行き当たりばったりな編集部員が多かったみたいです。まぁ、常に校了と下版の締切に追われる立場なら、そんな無茶苦茶な生活になるのも仕方ありません。
ちなみに、最初に電話で応対してくれたのは、A・チャラ男Jr.編集部員(仮名)でした。彼とは後に三星のデジパチ「麗ギャルズ」のデータ取りで一悶着あるのですが(詳細は当コラムの第61話を参照)、この時は丁寧に応対してくれて凄く感謝しましたよ、ええ。
そして、午後3時になって再び編集部に電話してみると、まだ担当者は出社していないとのこと。正直、そんな適当なタイムスケジュールで仕事が回るのかと少しだけ心配になりましたが、次に午後5時過ぎに電話をかけると、今度はパチンコ必勝ガイドの副編集長に取り次いで頂きました。
そう、その方こそが今では「業界のご意見版」として名高い大崎一万発さんだったんです。
■「へぇ…これは凄いなぁ」と
ライター募集の広告を見て応募するために上京した旨を告げると、じゃあこれからガイド編集部で面接をするから…という話になりました。もちろん、ライター応募用の作文と履歴書は上京前に用意しています。
約1時間後、白夜書房ビルを訪ねるとパチンコ必勝ガイド編集部に案内されました。どうやら面接の話は通っているようです。すると、副編デスクで机を叩いて若い編集者を叱っている人が目に入りました。ええ、間違いなく大崎さんです。ガイドの誌面にも顔出ししている名物編集者だから、私が見間違えるわけがありません。
その大崎さんが、「こんな見栄えの悪いサムネを商業誌に使えるか。すぐやり直せ!」と声を荒げているのは、さすが時間に追われる編集部…といった印象ですが、その時の大崎さんのスタイルがぶっ飛び過ぎてましてね。なんと腰まで届きそうな見事な弁髪で、民族衣装を完璧に着こなしていたんです。これには凄く驚きました。
そして、私の姿を認識した大崎さんは、「さっき電話をくれた広石さんですね。今から面接をするんで静かなところに行きましょう」と言って、応接室に案内してくださいました。さぁここからが正念場です。まずは大崎さんに私を売り込むことにしましょうか。
「私はパチンコ必勝ガイドさんをずっと愛読しておりまして、田山幸憲さんの『パチプロ日記』の大ファンです。田山さんの足元にも及ばないと思いますが、是非ともガイド本誌で記事を書くお手伝いをさせてください!」
誠意を込めてそうお願いしたところ、大崎さんは履歴書と作文、それから私が田山さんに憧れて自分の稼働を書き殴った日記帳などをパラパラと眺めながら、不意にあるページで手を止めました。それは私の実戦データ帳でした。この頃の私は、日々の稼働で常に実戦データを採取してたんですが、データ帳を見た大崎さんがこう呟いたことを私は聞き逃しませんでした。
「へぇ…これは凄いなぁ」
その言葉を聞いた私は、ああこれはきっと、素人なのにちゃんとデータ取りが出来ていて凄いね…と、褒めてくれているのだと思ったんですけどね。次に放たれた大崎さんの言葉が衝撃的でした。
「すげぇな、この夢幻伝説。千円で30個以上も回ってるじゃん!」
そっちかーい!
いやはや、さすがは元・パチプロの大崎さん。打てるレベルの釘調整をデータ帳から発見しただけで喰い付いてくれるんですね。後に親しくなったパチンコライターの重鎮・小池さん(「パチプロ三本の矢」の連載で有名な方です)が言っていましたが、当時の大崎さんはパチンコ打ちの技量を「その人がどの程度の台を打っているか」で計ろうとしていたらしく、常に優秀台を打っている人を重用したそうです。
経緯はどうあれ、とりあえず私に対する大崎さんの心象は悪くないかな…そう思ったんですけどね。次に放たれた大崎さんの言葉は、先ほど以上に衝撃的でした。
「申し訳ないんだけど、実はライター募集なんてしてないんですよ。そもそも、あの募集広告はダミーでね。いつもは電話の段階でお断りするんだけど、広石さんはわざわざ地方から上京して訪ねて来たし、とりあえず会ってみることにしたんです」
瞬間、目の前が真っ暗になりました。
どういうことかと言うと、当時のパチンコ&パチスロ必勝ガイドは締切の間際に「破壊的な攻略法」などが発覚した場合、既存の記事を無理やり差し替えてスクープ記事を掲載していました。
しかし、差し替えの目に遭った元記事は当然のことながら「世に出る旬なタイミング」を逃してしまうわけで、それを避けるためにダミーのライター募集広告を出していたそうな。従って、攻略法が発覚したならダミー広告をすっ飛ばしてスクープ記事を掲載することになります。それに喰い付いちゃったわけですな、私は(涙)。
仕方がないので大崎さんに面接のお礼を述べて退席しようとしたんですが、ちょっと待ってと大崎さんが言います。30を過ぎて大分から単身出てきた熱意は凄いと思うので(この時の私は32歳を迎える年でした)、もしも広石さんが希望するなら「パチスロ必勝ガイド編集部」を紹介してもいいですよ…と。
希望します、希望します。是非ともよろしくお願いします。てゆーか、個人的にはパチスロ必勝ガイドのライターになりたかったんですよね…とは言いませんでした。もしもそんな言葉を口にしたら全てをぶち壊しかねないし、喜びのあまり思わず口を滑らせなかった自分を自分で褒めてあげたいと思います。
(後編に続く)
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