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非常事態に思い出したのは「とあるパチスロ台」のことだった…【濱マモルののほほんコラムVol.219~2003年の出来事・後編~】

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濱マモルののほほんコラムVol.219~2003年の出来事・後編~

 基本的に、いつ飲んでも酒は旨い。たとえ激しい二日酔いで、今夜はヤメておこうと昼間こそ反省しても、いざ飲み始めるとゴキゲン。いまだに連日、その繰り返しだが、2003年の夏、我が体は酒を拒絶した。

 風邪との診断を受けて薬を飲むも、治まるどころか悪化の一途。最終的には万力で押し潰されたかのような頭痛に見舞われ、これによる猛烈な吐き気もあり、眠ることさえ困難な状況へ陥った。

「病院に連れて行って…」。医者が苦手なアタシだが、再度、病院へ行くことを決断した。近所の総合病院へ向かう道中、友人のカーラジオでは高校野球中継が流れていた。いかにも夏らしい暑さなのに震えが止まらず、エアコンを停止。汗だくの友人は、救急外来の受付まで案内してくれた。

 日曜日だからか、待合室はかなり混雑していた。もはや1分が1時間にも感じるツラさ。どれだけの時間が経過したかは不明だが、ここで体にさらなる異変が訪れた。メガネを外した刹那、そのメガネを持った右手が動かなくなったのである。

「なにしてるの?」「いや、手が動かなくて…」。この会話を最後に、意識を喪失。その後はバタバタと医者や看護師さんが集まり、緊急搬送されたそうだ。

 ただ不思議なことに、一部の場面は記憶にある。ストレッチャーに乗せられてエレベーターへと忙しなく移動する様子。治療室の外で不安そうに待機する友人の姿。信じるか信じないかはアナタ次第だが、上から眺めるような描写から察するに、これはおそらく幽体離脱を体験した可能性が高く、早い話が死にかけたわけである。

 意識が戻ったのは、翌日の夕方。動きづらいと思ったら点滴の管が体に巻き付いており、聞くと、あまりに苦しかったのか、時折、ベッドの中で激しく暴れ回っていたそうだ。それに対処すべく、超長い管を装着してくれたという。

 また、看護師さんが朦朧とするアタシに自宅の電話番号を聞いた際、その番号に連絡すると「本日の営業は終了しました」とのアナウンス。もちろん、我が家は商店ではないし、そんなこともあってか、意識が戻ると、医者は静かにこう聞いてきた。

「これは何本ですか?」。見ると、指を2本立てている。後に聞いた話だと、アタシが患った髄膜炎という病気は、様々な後遺症が出る危険性があるそうで、単純に本数を数えられるか確認しただけだったそうだが、「なにかのとんちか?」と深読みしたばかりに、医者や看護師さんは不安な顔。「大丈夫ですか? もう1回、聞きます」。2度目の質問で「2本」と答えて周囲は安堵したが、そんな中、アタシが真っ先に思い出したのは、とあるパチスロ台のことだった。

 本来ならば、この日はロデオの新台『チャーリーズエンジェルFT』のデータ採りに行く予定だった。早朝に駆け付けた妹や友人が心配してくれているのにも関わらず、「2種類のAT搭載機って聞いていたけど、どんな台なのかなぁ。打ちたかったなぁ」などと考えてしまったアタシは、翌日以降、若干の頭痛は残るものの、神経内科の病室でひとり騒がしかったからか、記念すべき初入院は5日で追い出されました。

濱マモル

濱マモル

神奈川県横浜市出身。レコード会社勤務の後、フリーライターへ転身。パチンコ・パチスロやギャンブル系を中心に、野球、音楽、街情報など幅広い分野で執筆する。特技は料理と飲酒で、超常現象好き。ドラマーとしての顔も持つ。

Twitter:@hamamamoru777

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