かつての「プロ」に関するお話【ドラゴン広石『青春と思い出のパチスロと、しばしばパチンコ』第102話:パチ屋での通り名】

第102話 パチ屋での通り名
今でこそ「プロの仁義」を語る昔気質のパチプロ&スロプロは絶滅しましたが、いわゆる「ジグマプロ」が多かった昭和から平成初期までは、プロが「ネグラ替え」を行うのは本当に大変なことでした。
たとえば、余所から流れてきたプロが良さげなホールを発見し、その店で腰を据えて喰っていこうと考えたとします。その場合、最初にすべきはホール内で人間関係を作ることでした。
昔のホールには必ずその店に居着いてるジグマプロがいましたから、まずはジグマが立ち回らないようなシマ(時間効率が悪い機種や店の扱いが悪い機種のシマ)で1ヶ月くらい頑張って自分の存在を周囲に認知させます。
そして、時にはジグマの顔役にコーヒーの差し入れなんかもして、その店のジグマや店員さんに受け入れられて初めて、自らの立ち回りで勝負を始めるんです。
私はこの「プロの仁義」を、師匠である「弁当屋ギョロさん」に教わりました。昔のジグマプロは余所からゴト師や開店プロが流れてきた時などに、店と常連客を守るため防波堤の役割を果たしてもいましたから、前述した面倒くさいプロセスをすっ飛ばしていきなり抜きまくったりすると、危険人物と見なされて店から強制排除されたと聞きます(追い出し役を担当するガタイの良いジグマもいたそうな)。
まぁ、そこらへんはいかにも昭和だなぁ…って感じですが、ジグマの存在がホールの利益になっていたのも事実なので、店側もジグマが悪さをしない限り出禁にしたりせず、持ちつ持たれつの関係を続けていたらしいです。
でもって、当時のプロは身元不詳の人が多かった。ジグマと言っても元々は遊び人みたいなものですから、むしろ身元がはっきりしている人の方がめずらしいんですが、ジグマの間には「自ら語らないかぎり身元を詮索しない」という不文律があったため、打ち終えた後に一緒に飲みに行くような間柄でも互いの名前すら知らない…というケースがめずらしくありません。
そういう場合はどうするか? 答えは簡単、ジグマは互いに通り名で呼び合うんです。
かの伝説のパチプロ・田山幸憲さんの著書「パチプロ日記」の中では、田山さんの日々の稼働に多くのジグマが絡んできます。田山さんが初めて遭遇した顔役の「イノさん」、田山さんの師匠的な存在の「不敗のノッポ」、それから「一寸帽子」、「あと番のキザ助」、「マーク屋ヒロ坊」、「ブッチャー」、「子連れ狼」、「ブッコミのテツ」…等々。彼らは手打ち機の時代に活躍したジグマプロですが、仮に本名を知っていたとしても通り名で呼ぶのがジグマの慣習でした。
実を言うと私こと広石もジグマっぽいことをやっていた時期がありましてね。それは大学を卒業して地元・大分に帰った直後のこと(昭和62年4月)。アテにしていた就職の話が立ち消えになり、それで私は(仕方なく)少し前に別府市にグランドオープンしたL店に通い始めたんですが、その店で知遇を得たジグマ連中がまんま「パチプロ日記」の世界観だったんですよ。
■月に20~30万円くらい稼いでました
L店はグランドオープン直後につき、前述したような面倒くさい「プロの仁義」に巻き込まれることはありませんでした。なにしろ、全てのプロが新参者なわけですから、これからネグラにする上でやりやすいことこの上ありません。
そして、L店に設置されていたのが東京パブコの1号機『アーリーバード』でした。

設置台数は全80台で(20台ずつ4シマで構成されていた)、グランドオープン直後の設定状況の良さにも助けられて、私は月に20~30万円くらい稼いでました。
この店をネグラにしていたジグマ(スロプロ)は10人くらい。私の師匠であるギョロさんを筆頭に、メガネさん、赤シャツ、グラサン、自衛隊、ブーちゃん、河童ちゃん、カクガリ…等々。みんな通り名で呼び合っていました。もちろん素性は知りません。
ちなみに、私は「先生」と呼ばれていました。当時は目押しができるプレイヤーが非常に少なく、できたとしても精度が非常に低かったり、頻繁にミスするのが普通でした(実際に我が師匠・ギョロさんは目押しができない人でした)。
そんな中にあって、高精度の目押しができた私は「目押しの先生」を縮めて「先生」と呼ばれたんです。大学を卒業したばかりの若造がそう呼ばれるのに恥ずかしさはありましたが、悪い気がしなかったのは言うまでもありません。
今になって思えば、この頃は本当に楽しかった。しっかりと打てば月に負け越すなんて考えられませんでしたし(それくらい機種のスペックも設定状況も甘かった)、このまま就職なんてせずジグマとして生活しようか…とまで考えました。
■ジグマのテリトリーが二つに割れる
しかし、和気藹々としたジグマ生活は長く続きませんでした。ジグマの一人である赤シャツが「打ち子」を使うようになったんです。
赤シャツは朝イチにメダル貸し機に並ぶ時間を惜しんで相当数のコインを持ち帰り(当時はコインサンドなんて便利なアイテムはなく、みんなシマの端っこに設置されたメダル貸し機を往復していました)、打ち子の数に物を言わせてモーニングを喰いまくりました。
コインの持ち帰りについてはすぐ店側に発覚(チクリ)して厳重注意されましたが、打ち子に指示を与えて一般客をひたすらハイエナしたことについては不問とされました。まぁ、そういう時代でしたからね。
結果、ジグマのテリトリーが二つに割れました。赤シャツは軍団を引き連れて奥の2シマのみで立ち回り、こちらも赤シャツに恭順したグラサンを除き、ジグマ全員が手前の2シマのみで勝負するようになったんです。
昭和の時代はプロ同士の諍いなんてめずらしくもないけれど、まだ若かった自分は一触即発のピリピリした雰囲気に、妙にワクワクすると同時に「住む世界が違う」ということを思い知りました。
嗚呼、若気の至り! 続きはまたの機会に。
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